詫磨屋敷
詫磨屋敷([直鳥城 周辺城郭])
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詫磨屋敷の口コミ情報
2021年08月15日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の神埼市にある【詫磨屋敷】☆現在は託西、託東と東西に長い環濠になっています☆古くは侘田とも記されています☆
筑後川の支流・田手川の西岸に立地します☆
地図を見た時から何かある…。としか思わなかった託田集落☆案の定、歴史が詰まってました♪古くから条里制が引かれたこの場所は、一之折から六之折と、条里制が行われたと思われる地名が残ります☆
中世の鎌倉期から室町期には託田郷として詫磨道覚譲状案に初見として名前が出てきます☆この詫磨状案には、たくたのかう(託田郷)と、くらとのかう(倉戸郷)のうち『てんち五丁、やしき八ヶ所、はくち二ヶ所』と記され豊後の詫磨直秀が幕府より与えられた土地であり屋敷、城館があったのでしょうね☆因みにこの、詫磨一族は同じく神崎荘内に詫磨直秀の弟の泰秀、一族の道秀が恩賞配分を受けていて、この地に生きました♪
更に足利直冬(足利尊氏の落胤)は松浦党の斑島氏に『神崎庄内内田久田村田地屋敷』を安堵していたりもします☆先に託田を安堵されていた詫磨氏も、その後も相続されている事から色んな勢力が動いていた事と共にこの託田に生きていた事、意外に地元豪族の勢力の関係はやっぱり、穏やか良好だったのでしょう☆
南北朝時代に入ると鎮西探題方の一色直氏は高志・櫛田社の本宮司・本告季幸に『託田郷の内、加治分伍町』の知行を安堵しています☆
また反鎮西探題勢力の足利直冬も同様に知行を認めていて、一色氏、足利氏共に地元勢力である本告氏を味方に付けたいという双方の動きが分かります☆徐々に雲行きが怪しくなっていく肥前国…☆戦国の乱世には在地豪族達の命運が分かれていきました☆
遺構としてはクリークが集落を巡ります☆
国道に面して若宮八幡神社があるのですが、この神社は鎌倉時代に建立されたと伝わります☆神社には肥前鳥居が残り市指定文化財になっています☆