東妙寺陣所
東妙寺陣所([直鳥城 周辺城郭])
直鳥城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「東妙寺陣所」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
東妙寺陣所の口コミ情報
2021年10月18日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の神埼郡吉野ヶ里町にある【東妙寺陣所】♪
中世にはこの東妙寺は兵乱の際には陣所として利用された寺院になります☆
長崎街道沿いの田手宿のやや北側に立地しています☆西側に田手川が南流♪田手集落の中に東妙寺は存在します☆動乱期には陣所として機能を果たしていた為に【東妙寺陣所】と名前を付けています☆
肥前誌を漁るとよく目にする東妙寺文書♪
この東妙寺の歴史は古くて弘安年間に蒙古掃攘の祈願を込められて創建されています☆
東妙寺文書の内容で、隣接する妙法寺の記述があります☆『妙法寺者建立以後即令止住尼衆 歴四十余廻之星霜畢 彼是両寺依有勅願』妙法寺は尼寺で東妙寺より40余年前に建立されていたという事で両寺共に記載があります☆この、東妙、妙法の2つの寺を住持する為に後宇多天皇の信頼厚い唯円が下向してきたと伝わります☆鎌倉時代の浄土真宗の僧で奈良西大寺中興の祖、叡尊の弟です☆
そんな凄い東妙寺、妙法寺の2つの寺院ですが、歴史は動きます☆
南北朝時代にはこの東妙寺は南朝方に付きます♪後醍醐天皇・後村上天皇や征西将軍・懐良親王から厚遇を受けました☆
が…この頃より既に周辺の土豪、武士による寺領の侵略が発生しています☆
その後、足利直義、義満や鎮西探題の少弐氏、今川氏、一色氏は東妙寺を祈願所にしたり、乱妨狼藉の禁止、騒乱訴訟の判決などの判物を送ったりと、東妙寺を幕府方へ取り込もうともしました☆
東妙寺はこの時期、その後中世期に、かなりの力があった事が判ります☆
更に戦国時代には豊後の大友宗麟が東肥前へ侵攻☆龍造寺隆信は防戦に努めます☆
大友勢は今山の合戦へ出陣する直前に兵舎として利用した東妙寺が焼失☆龍造寺領域の寺として焼き討ちにしたのでしょう☆
その領地を攻める際は城郭は勿論、寺院(領主と寺院の結び付きはどのエリアにもあります☆その領主代々の菩提寺だったりもする為)も狙われると言う事はあるあるですから、恐らく大友勢は火を放ってから今山へ向かったのでしょう☆
地形を見たら分かりますが、南側の佐賀平野から脊振山地に向かい徐々に高まりを見せ、舌状台地状を形成する、その付け根部に東妙寺は存在しています☆北側には吉野ヶ里遺跡もあり更には田手畷の合戦(少弐氏VS大内氏)との戦もあったなど古くから何かがある場所でありました☆