石志氏屋敷
石志氏屋敷([直鳥城 周辺城郭])
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石志氏屋敷の口コミ情報
2021年09月02日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の佐賀市にある【石志氏屋敷】☆
文永の役(蒙古襲来)により活躍した松浦党の石志氏の屋敷跡と伝わります☆
実際には蒙古恩賞地として与えられたと言う文献は調べたけど分からずしまいでした…
でも、確かに石志氏屋敷として集落内には伝わっています☆
佐賀平野中央部で角町集落内、新川の西岸に立地します☆江戸時代には佐賀藩の本領藩となっていて蓮池藩に接する場所です♪
多くの歴史は残っておらず詳細は不明ですが、南北朝時代に石志氏の屋敷があったと伝わります☆
江戸時代の佐賀城下の南東にあたり寺井津(現諸富町)に向かう街道に面していて幕府巡見使の巡回路でもありました☆
巡見録には石高682石余、人数290人、家数50軒余りと記録されています☆
昨日の山津環濠同様に、中世時代(龍造寺氏)の歴史は良く分かりませんでした…
集落内には西宮社が残り、周りを濠が囲います☆ただ去年2020年11月に西宮社は火災によって焼失…現在、土台のみ残っています☆
この西宮社は信濃国の武将・本田昭雲が保元・平治の乱時に亡命、肥前山口の里に仮寓中に摂津国の西宮を、この川副荘に勧誘したと伝わります♪初めは西の宮大明神と称された社は佐賀平野の五穀豊穣の神と信仰されました☆
江戸時代になると祭神のえびす様は商家の福の神、幸の神として厚い信仰が増し藩主・鍋島家の崇拝も受けています☆
現在も佐賀市内の町ごとに数百の石造りの、えびす像『えびすさん』が残っていて、何でこんなに『えびすさん』?不思議でしたw
恐らくこの西宮社から来るものなんでしょう♪理由が分かってスッキリ♪