高志環濠
高志環濠([直鳥城 周辺城郭])
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高志環濠の口コミ情報
2021年08月19日 龍馬太閤【懸かり乱れ龍】
佐賀県の神埼市にある【高志環濠】☆集落を守るかの様にクリーク(濠)が廻ります☆神埼のクリークは本当に良く残っています♪
南流する馬場川、田手川の西方に立地した高志集落♪
集落には高志神社が祀られています♪
高志神社は元々、コシノ宮と称していて、出雲国高志郷(ごしごう)の高志社より分霊して、この地を高志の里(こしのさと)と呼んでいた様で、いつの頃からか『たかじ』と呼んで集落名になったと神埼郡郷土誌には記されています☆
この高志神社は櫛田宮と並び手厚く保護を受けており、南北朝の動乱機には足利直冬(足利尊氏の落胤)が『櫛田宮』『高志宮領』に対する軍勢の乱入を禁じていて、更に高志大宮司の本告秀幸に天皇方勢力退治の祈禱を命じています♪
足利直冬は神埼庄内の高志、櫛田、更に崎村三社宮の管理と神宮職を大宮司・本告秀幸に任せました☆南北朝時代、肥前国に名前がよく出てくる本告氏は本告城を本拠地とした在地豪族です☆
そんな守られていた高志神社ですが戦国時代に大友宗麟の東肥前への侵攻の際に焼失したと伝わります☆
その後再建をはかり龍造寺政家は米十三石を高志大宮司に寄進していたり、江戸時代には佐賀鍋島本藩の保護を受けました♪
高志では能と狂言が盛んに行われていました♪これは佐賀県重要文化財指定の際に『高志狂言』と命名されましたが以前は『鷺流狂言』と呼ばれていました♪この高志には芸能集団がかつて存在し今も各家元様も残ります☆佐賀領において、新庄村(佐賀市)に『美麗』と呼ばれる能役者一門もいて『佐嘉繁昌記』には高志神社で奉納したという記録も残ってます☆
因みにこの高志神社からは貝塚も発見されていて、牡蠣、赤貝、土器片の層も発見されてます☆古くから人の気配があるものの、中世の歴史の多くは確認が出来なかったです☆