台場屋敷

台場屋敷([直鳥城  周辺城郭])

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台場屋敷の口コミ情報

2021年07月27日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


佐賀県の神埼市にある【肥前・御台場屋敷またの名を岩田台場】と呼びます☆

江戸時代には、この地には佐賀藩運営の岩田台場と称される射爆場がありました☆石火矢頭留書には台場の築城は1688年〜1704年にかけて造られていて、佐賀藩の4代藩主・鍋島吉茂と10代藩主・鍋島直正の時代にもっとも多く使用されました☆長崎の御番を命じられた佐賀藩は武器の改良進化を図る事を要求されていて、ココに台場を築き日の隈山を的場として大筒の射撃訓練をしています☆この地に築かれたのは日の隈山が佐賀藩の御狩場になっていた事が理由の様です☆因みに日の隈山は戦国時代には火の隈山と呼ばれていて勢福寺城の狼煙場になっていた場所でもあります☆時は進み日の隈山に名前が変わっています☆江戸末期に10代藩主・鍋島直正の命により武雄の鍋島十左衛門が砲術を披露したと記録が残っています☆台場屋敷のある唐香原には砲や火薬庫、役宅、番宅が建てられ御台場屋敷と名前が変化しています☆幕末期に入ると台場の使用は減っていきます☆射程距離が伸びる武器に弾丸の威力の増加、火術の上達などの理由から諸富の三重津(三重津海軍所)へ移行していきます♪この三重津海軍所は明治日本の産業革命遺産として世界遺産に認定されています☆日本でいう幕末期にイギリスが開発した最新の大砲♪アームストロング砲♪往時の最新技術を駆使した、この大筒を佐賀藩は既に持っていて、更にこの御台場屋敷にて既に使用していました☆更に黒船が来航した江戸湾☆江戸幕府は大慌てでアメリカとの交渉を重ねました☆これを機に江戸湾の防衛強化が課題になり幕府は品川への砲台建設を急ぎ決定しました☆この時に幕府は品川台場の備砲として佐賀藩に鉄製大砲200門の製造を打診し、佐賀藩は50門の製造を受注♪多布施公儀石火矢鋳立所で大砲の鋳造をおこないました☆完成した大砲は運送中に沈没した8門をのぞき、品川台場に設置されています☆
そうなんです☆実は大砲を造るには鉄☆鉄を造る反射炉は佐賀藩が1番最初に造営してるんです☆凄くないですか?これは、火を扱う事に関して長けていた証で、有田焼、伊万里焼などの技術が進んでいた結果なんじゃ無いかな〜?って思ってます☆幕末期に名を馳せた佐賀藩☆やっぱり凄い大藩です☆
御台場屋敷の南側には軍事訓練を指揮した原家と原就本のお墓が残ります☆

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