柳島城
柳島城([直鳥城 周辺城郭])
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柳島城の口コミ情報
2021年07月23日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の神埼市にある【柳島城】☆柳島集落には現在も人々が住んでいます☆
鯰江と呼ばれた、この場所は筑後川の下流の右岸部に位置します☆弥生時代には有明海の入江に点在する1つであったと推測されていて、柳の木が多い島だったという事から地名は来ています☆
中世期の鎌倉時代〜南北朝時代から名前は出てきていて神崎荘の1つになっています☆
この『柳島』という文字は脊振山僧団の一僧侶だった成賢の申状案に初見します☆
この修学院文書によると柳島村の地頭職は元々、智妙房賢秀の私領であったのを弟子の、この成賢が譲り受けました☆ところが、僧・覚秀なるものに、押領されたので、成賢は博多の鎮西探題に上訴して、覚秀に非を認めさせて避状を出させています☆
脊振山の長老16名はこの、成賢の申状を認め、後証として、連署署判を残しました☆
その後は、南北朝時代の内乱期に一時、脊振僧団の管理の手を離れた時期があった様で、隼人正某奉書により『神崎庄内柳嶋田畠半分』を返付されています、と残ってます☆
柳島地内には柳島古城と称されている地があって、『小森権之助という者の古城』と残っています☆この小森権之助とは何者なのか?分かりません☆在地豪族といった所でしょうかね〜☆神埼郡村誌には、小森権之助の墓は字九本柳の林薮にあると伝わってます☆柳島城は柳島公民館・乙護神社の北東に墓地になっている場所があって『野屋敷』と呼ばれてます☆この辺りも城館としての名前が残っていて古い五輪塔が残ります☆この古い五輪塔は南北朝時代のモノと伝わっていて、城主・小森氏のものではないか?と思われます☆つまり神埼郡村誌に伝わる字九本柳の場所か?
そんな柳島城の話でした☆