平原城

平原城([勢福寺城  周辺城郭])

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平原城の口コミ情報

2024年06月15日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


佐賀県の佐賀市の久保泉町にある【平原城】♪別名を川久保城山というこの中世の山城は、標高117mの低山に存在します♪北側は脊振山地の山々が連なり、山間部の間は峠道となり、神代氏が領した三瀬へと繋がります♪
佐賀平野と山岳部へと繋がる場所に存在している為、佐賀平野側を監視する目的とした城郭なのでしょう♪
この城郭のある低山の谷間を挟み、西側には鈴隈山、南東側には帯隈山(帯隈神籠石)があり、平原城のある山と鈴隈山の谷間は、山岳部や三瀬方面へ向かう天然の虎口にも見えてきます♪平原城の西麓には、神代勝利を祀った勝宿神社もあります♪
築城年、城主等、不明な城郭ですが、立地を見るからに神代氏の属性の城郭でしょう♪

神代氏といえば、三瀬城を本城として、山内二十六ヶ山(※山内を治める26の豪族の意です)を束ねた神代勝利♪戦国時代には龍造寺隆信とバッチバチにやり合っています。
神代勝利の死後、家督を継いだ神代長良は、龍造寺氏の一族である鍋島直茂の甥、家良を養子に迎え、家督を継がせました。これにより、長きに渡った龍造寺氏との戦いが終わっています。
鍋島家がいよいよ、佐賀藩主として地位を確立していくと、神代家は鍋島家の親類格となり、佐賀藩の重臣として、お家は続いていきます♪元和3年(1617年)鍋島直茂は、孫の元茂に小城に知行地を与え(後の小城藩)、側近の一部を元茂の元へと配置させました。その側近の中に、神代源内という神代家の一族が含まれていて、神代氏は小城藩の上級家臣としても存続していきました。
…と神代氏の話ではありましたが、この平原城はあくまで、誰の城かは分かっていませんw

南北に標高117m付近に築かれた城郭は神代氏の城郭か?大きく3つの郭で構成?主郭から小郭を挟み堀切(土橋付き?)、更に削平地あり、コレは副郭かな?その先に三重堀切がある。南側の防御が固く、その先には佐賀平野が広がります。北側はスロープ状の動線の先に削平地。スロープの途中の東側には土塁か?高まりを見せる♪主郭スペースは狭く、砦感満載である。主郭から北東側に派生された尾根先にも、堀切と削平地あり♪とまぁこんな感じの城郭でありました♪見所は三重堀切かな〜?いずれも、山岳戦を得意とした、神代氏の城郭かと思われます♪

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