神埼宿
神埼宿([姉川城 寺社・史跡])
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神埼宿の口コミ情報
2021年12月08日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の神埼市の本堀にある【神埼宿】♪
長崎街道の宿場町である神埼宿はその名残を今に見せます☆
神埼宿が栄えていた名残として櫛田宮や多くの寺院が残ります☆櫛田宮の門前町として室町時代には、その中心部は出来ていたと云われています☆
近世に入ると『神埼百田旧記』には、
・天正十九年 四日町、七日町馬場立
・慶長四年 八日町立
・寛永十七年 横町杉山開
・天和三年 東溝より三本松の迄町立
・元禄二年 ひの柱地蔵町立
などなど記録が残ります☆
その後に二日町、五日町、九日町が出来て東・西の新町に挽木町も出来ています☆
今なお地名として残っています♪
月の四、七、八、九日の数字の日には市場的な催しが行われていて、その後には、二、四、五、七、八、九日と市は進んでいったと考えられています☆
古代から栄えた駅ヶ里(地名です)に代わって、この櫛田宮を中心とする神埼宿は栄えていったのでしょう☆長崎街道沿いに5箇所の曲がり角を持ち、鉤形に細長く伸びた町が形成されていきました☆
この町を鉤形にしたのは城下町同様に戦時の際の通し矢による被害を避ける為でしょう☆
その後…幕府や藩の商農分離政策と相まり江戸時代迄に今ある神埼宿、櫛田宮を中心とした町が出来上がったという訳ですね☆
宿の東・東新町と西・西新町の端には警備の為の木戸が設けられていました☆
通常、領内の一般の木戸は門扉式ですが神埼宿の木戸は少し変わっていた様ですw
太田南畝の小春紀行には、こう描かれています☆『文化二年十月十二日 神埼宿に入る。 此宿の出入の門のさまこと所に たがひて古風なるものなり。門の柱より木をたてて あじろめく(網代)扉を半蔀の如くにつきあげたり。長崎両番所の坂の門ごとし』と残ってます開門時には板を縦横斜めに組み合わせた戸板を蔀の様に突き上げて支えて、その下を潜り出入りしていた様です♪
長崎街道は長崎と小倉を繋ぐ街道ですが、肥前佐賀には多くの宿場町がありました☆
宿場町巡りもまた歴史に触れる事が出来て面白いですね〜☆