横武城

横武城([姉川城  周辺城郭])

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横武城の口コミ情報

2022年07月30日 龍馬備中守【】


佐賀県の神埼市にある【横武城】♪南流する城原川の西側の平野部に横武は立地しました♪この横武城を守る様にクリーク(濠)が縦横に通ります♪佐賀県を代表するクリーク城館として、直鳥城、姉川城と並びます♪城主は横岳氏です♪この横岳氏は鎌倉時代より北部九州の御家人・守護大名の少弐氏の庶流となります☆少弐貞頼の子で頼房は筑前大宰府の横岳に居住し横岳姓を名乗っていて横岳氏の祖となります☆横岳氏の本貫地は太宰府にあり現在も同地の白川には旧小字横岳という地名が残っています☆さて少弐氏と云えば、周防国の大内氏により徐々に肥前国へ押し込まれていってしまうのですが、この時にこの横岳一族も大内氏と戦っています☆横岳氏の祖である横岳頼房は肥前国へ後退しながらも西島城を築いていて、コレを本城としています♪
戦国時代に突入する頃と伝わります♪
戦国時代になり肥前国にも動乱吹き荒れる中、少弐家17代・最後の当主である少弐冬尚が龍造寺隆信、千葉胤連などに攻められ少弐氏は滅亡☆(※後に弟・少弐政興が、馬場鑑周や横岳資誠などと少弐氏の復活を狙って旗揚げしましたが果たせず……)
その後の横岳氏の動向は分かりませんが、肥前国の龍造寺隆信、豊後国の大友宗麟の間で揺れ動いていたんじゃ無いか?と思われます☆特に大友氏に大きく加担していたと思われます☆事実、少弐氏を滅亡へ追い込んだ龍造寺隆信が勢い付いてくると、肥前国の経営が上手くいかない大友宗麟は横岳氏へ神埼郡内に所領を預けていて、誼を結んでいます♪恐らくこの時に拡大拡張したのが、今の横武城だと思われます☆佐賀平野に数多くある環濠集落とは違う表情(特に濠幅です♪)、やっぱり城館に相応しい横武城です♪龍造寺氏🆚大友氏がバトルした、龍造寺家の最大のピンチ、今山の戦い時にも、横岳氏は大友方として出陣しています☆
その後、天正9年(1581年)、龍造寺隆信の隠居後には龍造寺家は政家へ代替わり☆
色々争いはあったケド…横岳氏は勢い止まらない龍造寺家の幕下となりました☆
更に江戸時代には鍋島家の家臣として、お家存続に全力を尽くした横岳氏の話でした☆
横武城は現在、横武クリーク公園として整備されています♪まるで、毛細血管の様に張り巡らされたクリーク(濠)は良く残っています♪全国的にみても類を見ない異形の縄張りは必見です♪

2022年07月12日 RED副将軍【新宮党】


佐賀クリークの中でも最もよく残っている遺構のひとつです✨

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代等の詳細不詳。
城主は室町時代の豪族で、少弐氏の庶流である横岳(横武)氏と伝わります。
横岳氏は少弐氏に仕えてましたが、一族の内紛の後、少弐氏が滅亡すると大友氏、龍造寺氏に仕えました。
1580年、鍋島茂里は神埼郡西郷に所領を与えられて横岳鍋島家を興しますが、それまでに横武城は廃城となっていた様です。

見所
現在は横武クリーク公園としてキレイに整備されています。
水路が堀として縦横に巡り、曲輪を浮島のように配置させ、土橋で連結させる典型的な佐賀のクリークです。

2021年05月30日 龍馬備中守【】


佐賀県の神埼市にある【横武城】☆豪族・横武氏の城館です☆戦国時代には横岳とも記しています☆
クリークを駆使した城郭の中でも原型を良く留めていて直鳥城、姉川城と共に佐賀平野のクリークの城の代表的な1城になっています☆

この横武氏ですが文献に名前が現れるのは室町時代頃です☆
室町時代に北部九州の守護・少弐一門の横武頼房が佐賀平野・三根郡の拠点として西島の環濠集落を徐々に整備して行き本拠として西島城を築いた事から始まります☆

往時、北部九州を中心に勢力を奮っていた少弐氏ですが、周防国の大内氏と大宰府周辺の覇権を争う宿敵同士でバチバチでした☆田手畷の戦いで大内義興は少弐政資を滅ぼして、かつては鎮西の覇者であった少弐氏を肥前の一地方の勢力に転落させる事に成功します☆この合戦によって頭角を現す龍造寺家☆この戦いの後に佐賀平野南部の有力領主らを味方につけ戦勝に貢献した龍造寺氏が、少弐家中での発言権を強めて後に戦国大名化していく事になります☆

室町時代、戦国時代と徐々に勢力を失われて行く少弐氏…☆その中でも横武氏の動きは分かっていません☆少弐氏の滅亡によって龍造寺家を押し上げた龍造寺隆信は勢力伸張していきます☆肥前国を攻めきれない豊後国・大友宗麟はコノ横武氏に神埼郡内の所領を預けてたりしているので、この時期は大友宗麟とコンタクトを取っていた事が判ります☆どうしても肥前国を納めた〜い大友宗麟は肥前国へ攻め込んでいきます☆
今山の戦いが勃発します☆
この時、横武氏は大友宗麟勢に付いています☆村中城(後の佐賀城)を守る龍造寺隆信は5千の兵に対して攻める大友宗麟は6万の兵で攻め込みます☆結果的に鍋島直茂の奇襲により龍造寺氏が勝つわけですが…☆これは後にまた口コミしますw

横武氏は肥前国を守り切った龍造寺家の家臣になっていて龍造寺軍の主力として数々の合戦に出陣しています☆筑後・海津城に拠る安武氏を攻めた際には龍造寺軍の主将として参戦し見事これを陥落させました☆
とまぁ横武氏の途中、途中は解らない事が多いですが肥前国に置いて上手く立ち回り生き残っていきました☆

独特の佐賀平野は他に類を見ない城郭の宝庫です☆佐賀を代表するクリーク城の1つとしてオススメです☆


2021年02月18日 龍馬備中守【】


佐賀県の神埼市にある横武城☆現在は横武クリーク公園としてバッチリ整備されています☆別名を西島城と呼びます♪
公園化されているクリークに、民家の中に残るクリーク♪ハタマタ田圃の中にあるクリーク♪沢山の環濠集落がこの佐賀平野には残っています♪古くは古代より環濠集落の発生から始まり、平安時代は豪族の館を中心にして農村集落の内側、外側をクリークで囲み込み環濠集落が出来ました♪環濠集落から更には戦う城郭へと進化して行きました☆この横武城もその一つとなります☆
平安、鎌倉期には西島氏が発端となってここを拠点としました☆その後、室町時代に入ると豪族・横岳氏(横武氏)が整備し更なる発達をしていきます☆
この横岳氏は北九州の守護大名だった少弍一族に支えた訳なんですが、この少弍氏は徐々に諸大名に押されていきます☆
少弐政資は大内氏・渋川氏の軍に敗れて自刃してしまいます☆少弍政資の遺児の少弐資元は幼少だったので横岳氏の横武城で保護されます☆保護されながらも何とか生き延びて行く少弍氏なのでありますが少弐冬尚(少弍氏17代・最後の当主)の時に龍造寺隆信に敗れ自刃して少弐氏は滅亡☆その後、北部九州の最大勢力の大友氏は少弐家再興を大義名分として少弍冬尚の弟である少弐政興を立てました☆その後、更に龍造寺隆信は横岳氏の守る横武城を攻めますが失敗、、、も、結果的に龍造寺氏に降りました☆

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