葛籠城

葛籠城([勝尾城筑紫氏城館  周辺城郭])

勝尾城筑紫氏城館 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「葛籠城」の地図・口コミがご覧頂けます。

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葛籠城の口コミ情報

2021年10月04日 龍馬備中守【】


佐賀県の鳥栖市にある【葛籠城】♪勝尾城筑紫氏城館群の内の1城になります☆
脊振山地の東端辺り、中原の北傍標高132mに立地します☆勝尾城の出城、葛籠城は中世の山城です☆
九州治乱記では九州探題・渋川義俊が築城し、その後は少弐氏、筑紫氏の城郭となります☆戦国時代には城主・筑紫広門が龍造寺隆信に攻められ降伏…☆筑紫広門は豊後・大友氏に助けを乞いた事から島津家久に攻められ落城。。。以後廃城となりました☆

主郭から東方正面には2条の空堀が(長さ200m)あって更にその東方に2条の空堀(長さ400m)が良好な状態で残ります☆
肥前の異形の城郭と言えば葛籠城☆
大好きな、そしてオススメな城郭の1城であります☆

2021年06月06日 龍馬備中守【】


佐賀県の鳥栖市にある【葛籠城】♪勝尾城の支城群の1城は長大な横堀を二重に三重に回し込む異形の城郭です☆

戦国時代にこの地に勢力を奮った筑紫氏の約90年間の城郭遺跡で本城の勝尾城を中心として城下町遺跡、居館跡及びその支城群で構築されています☆

遺跡の面積は福井県の特別史跡の一乗谷・朝倉氏遺跡に匹敵する規模を誇るというほどの巨大なモノになっています☆

勝尾城の城主・筑紫氏の出自は諸説ありますが藤原家の流れをくむ武藤氏の一門と伝わります☆武藤氏は鎌倉時代に源頼朝の命で筑前、豊前、壱岐、対馬の5カ国を総括する鎮西奉行として関東から下向してきました☆
この武藤氏は大宰府を本拠にして少弐氏を名乗っていきます☆少弐氏は九州における武家の主領として更に九州守護として戦国時代後期まで北部九州を中心に勢力を奮いましたが周防国の大内氏に弱められ龍造寺氏に滅ぼされてしまいました☆
筑紫氏はその有力な一門と考えられてます☆
筑紫氏が勝尾城に本拠として入城するのは筑紫満門の時でその後、筑紫満門から尚門、正門、惟門、広門までの5代が筑紫氏の在城期間です♪

後に薩摩国の島津氏の軍勢に攻められて勝尾一帯を焼き討ちにされ勝尾城落城☆
筑紫広門は久留米の大善寺に幽閉されますがのちに脱出し勝尾城を奪回します☆
豊臣秀吉の九州征伐時の島津攻めに加わり手を結びました☆
その後、秀吉の九州国割りで筑後の上妻郡1万8千石を安堵されましたが、、、関ヶ原の戦いで西軍に加わり敗北☆
待っていた所領没収です☆筑紫広門は剃髪して夢庵と称し肥後の加藤家の扶助を受けました☆この筑紫広門は後に豊前細川家の扶助も受けましたが小倉にて病没してしまいました☆

葛籠城は勝尾城の前線に位置します☆
本城の勝尾城、城下町に入るには総構えを持ち厳重な守りをしていました☆支城群としては鏡城は東側の要に若山砦に鬼ヶ城☆高取城に西側の前線に位置するコノ葛籠城♪
新町町屋敷を抜けるにはこの葛籠城は重要な戦闘区域であります☆
支城群の中でも正に前線で戦う場所にあり重要な支城として機能したと思われます☆

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