田代代官所

田代代官所([朝日山城  周辺城郭])

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田代代官所の口コミ情報

2025年05月05日 龍馬備中守【】


佐賀県鳥栖市の田代にある【田代代官所と長崎街道(田代宿)】♪田代代官所は、長崎街道の田代宿(現田代小学校)に置かれた代官所となります♪

基肄養父と呼ばれる肥前国基肄郡全域と、養父郡の東半分は、慶長4年(1599年)から明治4年(1871年)の廃藩まで、対馬国・宗氏の持つ飛び地領でありました♪その統治、政治機関が田代代官所となります♪
長崎街道は江戸時代、小倉↔︎長崎間57里(約223.8km)を、25ヵ所の宿場で結んでいました♪

徳川幕府が海外との通商を制限していた中で、海外への窓口を開いていた長崎には、外国からの知識・文化が流入する為、長崎街道は重要な文明ロードでありました♪
小倉から筑前六宿を通った街道は、肥前・筑前・筑後の3国が接する三国峠を越え、対馬藩の田代領、田代宿へと至ります♪
轟木宿からは佐賀鍋島藩に入り、中原・神埼・境原を経た街道は佐賀城下に至り、さらに牛津・嬉野・大村などを経て、長崎へと向かいました♪
鳥栖地域の田代・轟木宿も、カピタン行列(オランダ商館責任者のカピタンの江戸参府)や、任務の為に往来する長崎奉行・幕府役人、あるいは商人などが多数通行していました♪

江戸時代、田代代官所は、付近では『お屋敷』と呼ばれていました♪
田代に直接代官が派遣されるのは寛永12年(1635年)で、以後は明治に至るまで、代官の常住体制がとられる様になりました♪

現在は少し高台の住宅地の中ではありますが、長崎街道の折れや、石仏、石碑、追分石、高札場、一里塚、神社やお寺など、歴史が残ります♪

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