博多見城
博多見城([基肄城 周辺城郭])
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博多見城の口コミ情報
2025年12月11日 龍馬備中守【】
福岡県筑紫野市の山口不動浦にある【博多見城】♪天拝湖の西に聳える標高269mの山頂に、城郭は築かれています。別名を黒岩城とも呼びます。城郭と言って良いべきか?位の規模であり、砦の様な顔をしています。それでも、三重堀切を持ち城郭を守っていた事を考えると、戦国時代の後半まで使用された。様にも感じました。こういう書き方をする時は…。そうなんですw詳細不明な城郭なのであります。この博多見の名の由来として、博多湾を監視する目的としての名前と思われます。博多見城から北側には、福岡平野(博多含む)が広がります。
詳細不明ですが、筑前国続風土記には『山口村にあり。又うさか原の城とも云。村より北なる高き山上にあり。城主詳ならず』と記されています。また、秋月藩士の大蔵種周作成の古戦古城之図では、城跡の絵図に『土人ハ黒岩城ト云』と描かれています。認知はあった城郭という訳であります。城は山口村の北の山上にあり、城主は分からずで、大蔵種周によると、黒岩城と呼ぶ。何れにせよ、山口村となんらかの結び付きがあり、広い領地を対象として成り立った城ではなく、あくまでも小規模な城=砦だったのでしょう。
さて、この筑紫野エリアは二日市の地峡を境に、西側・南側の城が筑紫氏の領域、東側・北側の城が高橋氏に属している、いわゆる境目にあたります。
この博多見城は、正に二日市から西側に位置し、筑紫氏の領域内となります。更に、筑紫氏の重臣・帆足氏の本拠に近い場所に位置している事も、筑紫氏の属城だったと考えられる理由です。小規模な城ではありますが、この場所は山口から平等寺の山間谷間を抜けて肥前へ通じるルートを押さえる位置であり、その戦略的価値はきわめて高く、更には筑紫氏の肥前木山城(基肄城)へ抜ける最短ルートにもなる為、交通路を押さえるなどの重要な戦略的性格が、博多見城の意義であり、価値なのでしょう。更には、名前の通りに博多見ですから、博多の監視まで行う事が出来た。最終的には、筑紫氏の城郭網に組み込まれた城なのでしょう。









