筑紫氏館

筑紫氏館([基肄城  周辺城郭])

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筑紫氏館の口コミ情報

2025年12月12日 龍馬備中守【】


福岡県筑紫野市の筑紫にある【筑紫氏館】♪現在残るのは高まる台地のみで、小学校の敷地となっています。古くは『つくし』とも呼ばれた『ちくし』です。脊振山地基山の北東部で、宝満川の右岸に位置します。『日本書紀』では、八島の1つとして九州全体が筑紫洲と表記されていますが、その中に筑紫国、火国、豊国、日向国が現れています。現・福岡県で北九州を除いた一帯を、筑紫国と呼びました。後の7世紀までには筑前国・筑後国と分割されています。この筑紫国には豪族として菟狭津彦がいて、これも『日本書紀』に描かれていますが、もはやファンタジーの世界ですw今回は、そんな筑紫に根付き、戦国時代はこの地を領した筑紫氏の居館であります。

筑紫村として、室町期~戦国期に見える村名であります。筑前国は御笠郡の内となります。筑紫下野入道に筑前、肥前、肥後国内の本領を安堵した嘉吉元年、少弐教頼安堵状(筑紫古文書)に『筑前国三笠郡筑紫村地頭職』とあり、筑紫氏の所領であった事が伝わります。
また明応6年(1497年)大内義興感状に『去十五日、於筑紫村幷城山合戦之時』とあり、大内義興は少弐政資を、筑紫村と城山にて攻めています。同内容の大内義興の感状は益田孫次郎・野間彦太郎・仁保左近将監にも出されていて、筑紫村での合戦があった事が知られます。この時、筑紫氏館は?城山は?って所ですが、調べても分かりませんでした。筑紫氏の戦国時代の本拠地は勝尾城である為、筑紫氏館は、筑紫氏初期の居館なのでしょう。

筑紫氏の出自は不明な事が多いですが、大宰少弐氏の庶流とも伝わり、筑紫村の地頭職となって以降は筑紫氏を称していて、原田にある筑紫神社の宮司を兼ねていました。筑紫氏館から南西900mにある筑紫神社ですが、今でこそ、原田ではありますが、中世初めは筑前国御笠郡の内で、室町、戦国時代には、原田は筑紫の内となっています。筑紫神社は長崎街道筋にあり、筑前六宿の1つである場所の為、当時もその賑わいを見せた事でしょうね。今なお地元の方々より、熱く崇拝されています。

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