甘南備城
甘南備城([高木城 周辺城郭])
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甘南備城の口コミ情報
2022年01月08日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の佐賀市の大和町にある【甘南備城】♪別名を春日山城と呼びます♪鎮西屈指の豪族、高木家が鎌倉時代に築いた山城となります☆この肥前・高木氏は藤原累代の豪族で大織冠鎌足の正統、中関白藤原道隆公の後裔と云われています☆代々、太宰府の官吏だった高木氏☆太宰府の役人、藤原一族の者がこの地方に土着して勢力を張り、この辺りを支配する様になったのが高木氏☆始まりは高木氏の始祖である藤原文貞で甘南備山に居住☆その末裔の高木家宗が鎌倉時代に再び甘南備城の城主として城砦を築き肥前国を抑えます☆甘南備城の文書の初見は鎌倉時代の『鎌倉遺文』☆元寇襲来では高木家宗が活躍し南北朝時代には足利氏に属し高木氏は勢力を伸ばしていきました☆更に同南北朝時代に菊池武安に攻められ甘南備城は一時陥落しちゃいます☆その後、戦国時代には龍造寺氏と争い高木鑑房は龍造寺隆信に敗れ廃されていきます☆
こうして、高木氏は肥前での勢力が奪われていくのです…☆佐賀北部の歴史を語る上で高木氏の存在は避けては通れない♪後に高木瀬にある高木城を本城にして有事の際には高木領内にある甘南備城を詰城として機能☆そんな役割を果たしたんじゃ無いかな〜?と妄想しておきます☆この高木氏の歴史は本当に深くって往時かなり力があったと思われます☆高木宗貞の時には肥前守と称して代々、国府の執行の職を担い高木地区のみならず於保郷、川上の於保地区にも領地を持ちます☆更に高木宗貞は度々出てくる河上文書の河上社の宮司も兼ねました☆佐賀北部一帯が高木の支配下にあったという確認が取れます☆もう1つ♪後に豪族、更には戦国大名として肥前史で活躍していく龍造寺氏、八戸氏、於保氏、草野氏、北野氏、上妻氏、益田氏、笠寺氏、長瀬氏、富崎氏の家系は全て高木一族から分かれ発展☆遺構としては浅めの堀切、切岸、郭程度♪昭和時代に建てられた看板が転がってました☆山麓には創建不明、甘南備神社が残ります☆この甘南備神社は⛩河上社の発展と共に衰退☆高木氏との関係性は不明☆古くは平安時代頃にはあった様です(春日山高城寺記)☆また龍造寺隆信🆚神代勝利はこの甘南備城を舞台に山岳戦を展開☆広がる佐賀平野と山岳に入る境界な訳です☆甘南備は神南備(南備は森の意)とも描かれ『神の在す森』の意を示します☆古代神事にちなんだ事からこの名前が付いています☆此処を拠点にした高木氏の意識の高さが光ります☆