少弐氏館
少弐氏館([佐賀城 周辺城郭])
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少弐氏館の口コミ情報
2021年09月26日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
佐賀県の佐賀市にある少弐氏館(与賀城)♪龍泰禅寺の境内がその場所となります♪
元々は…九州守護の少弐氏が築いた居館跡であります☆
往時の北部九州は『幕府勢力の九州探題』と『南朝方の朝廷勢力の少弐氏・大友氏・島津氏』の守護勢力がバチバチ争う戦乱の場所となっていました☆九州の守護勢力との戦いに苦戦を強いられた幕府方は周防国の大内氏に九州への介入を命じていきます♪本州から北部九州へ攻めてくる大内氏☆この出来事で北部九州の軍事事情は大きく崩れていく訳です☆
九州守護の一角の少弐氏は次第に追い詰められ…幕府方の大内氏からの攻撃に耐え切れなくなる少弐氏は本拠地の大宰府を捨てて肥前佐嘉に逃げ込みました☆現在の佐賀城に取り込まれる形で少弐氏館は存在しているのですが同年代に少弐氏館のすぐ東に龍造寺家の村中城、更には水ヶ江城が並び、少弐氏は龍造寺家を頼ってココになだれ込んで来たのではないか?と思われます☆
そんな時代に少弐氏の拠点になったのがココ少弐氏館です☆
また戦国時代に入ると、この場所は龍造寺隆信が龍泰禅寺を築いていて菩提寺として祀ります☆因みに大隈重信の菩提寺で墓所もあります☆寺名は「龍造寺安泰」によるものと言われていて龍造寺氏に村田氏と(龍造寺本家)と深い関わりのある寺院になっています♪
龍造寺隆信は本堂、建築前の縄張りを自ら行った様で開山には叔父にあたる山口の龍文寺住職を招いています☆龍造寺隆信は自分の寺という気持ちが強かった様で戦の合間に頻繁に参禅に来ていた様です☆
龍造寺隆信が島原で戦死した時には龍泰禅寺の太圭和尚(四代)は戦場へ急行して遺体を探し出し諌早の和同寺で火葬した後に持帰ったと伝わります☆何処に供養しようか?大和の舂日山の麓にある高城寺と与賀宮で争論しココ龍泰寺が勝ちました☆その後は佐賀城の鬼門(東北)の固めとして宗龍寺という神社が造られていて守護仏として龍造寺隆信の分骨が行われています☆その後、院号をめぐり龍泰禅寺、宗龍寺が別の院号をつけ高伝寺の湛然和尚が、それを調停をしていて今は高伝寺に龍造寺隆信を始め、龍造寺家の墓所、更には鍋島家の墓所が残ります☆
更に凄いのが現在ある本堂は佐賀城の大書院の古材を解体し転用して造られていてコレは大正期に建築されてます☆
肥前の歴史はやっぱり面白いです♪