亀浦(くぽ)倭城
亀浦(くぽ)倭城([清水山城 周辺城郭])
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亀浦(くぽ)倭城の口コミ情報
2026年08月19日 ᴿᴱᴰ副将軍
小早川隆景らが築いた高石垣や桝形虎口が良好に残る名城
オススメ度 ★★★★★
1593年に六番隊の小早川隆景、小早川秀包、立花宗茂、高橋直次、筑紫広門により築城。文禄の役では小早川隆景が普請し在番も担当したとされます。
対岸の金海竹島倭城の支城として洛東江からの補給路を確保するために機能しました。
1597年からの慶長の役では毛利秀元が修築。梁山倭城から撤収した黒田長政が在番しましたが、豊臣秀吉の命により亀浦倭城は破却。黒田長政は西生浦倭城の守備へと回りました。
見所
洛東江の西岸にある標高約100mの丘陵上に築かれており、現在は徳川市民公園として整備されています。
洛東江を天然の堀とした水上交通の要衝です。
螺旋状に積み上げられた高石垣が続き圧巻です。
丘陵中央に主郭を置き、西に二郭、東に三郭、二郭の北に四郭が配されます。
他の倭城と違い主郭には天守台はありませんが、西側の虎口はコの字に曲がる技巧的な動線です。
東側斜面には畝状竪堀状の地形がありますが自然地形との指摘もあります。他の倭城は織豊系であり畝状竪堀群はありませんが、築城は小早川隆景であり、畝状竪堀を多用した毛利氏の築城術なのかもしれません。
高石垣だけでなく、折れが複雑に幾重にも続く動線、それに伴う横矢掛かりが秀逸です。
2026年01月25日 生駒近江守江現蔵☆
亀浦倭城(クポ倭城)は、1593年の文禄の役に小早川隆景、隆景の異母弟で養子の小早川秀包、大友氏の一族である立花宗茂が築城しました。慶長の役では毛利秀元が修築し、先ほど訪城した梁山(ヤンサン)倭城から撤収した黒田長政が守備しました。
しかし、豊臣秀吉の破却命令によって亀浦倭城は破却され、黒田長政は東にある西生浦(ソセンポ)倭城の守備に付きました。
韓国倭城オフ会〜兵どもの夢の先〜文禄・慶長の役をたどる旅★リターンズ★12月5日、梁山からバスで釜山に戻り、2城目です。
城跡は、釜山広域市と金海市を隔てる洛東(ナクトン)江の下流域左岸、標高100m(比高90m)の半島状丘陵上に位置します。丘頂に立つと、北に先ほど訪城した梁山倭城を間近に望む事が出来ます。写真を見返しても好みの遺構盛りだくさん。
山頂には石垣で固められた主郭がありました。石垣の角に案内板があるのが邪魔でしたが、どうにか案内板を避けて写真を撮ることに成功。主郭部の東の虎口は櫓台状の張出しがあり、ここから強烈な横矢が掛かる素敵な構造です。
案内してくださった現地の男性の先生は、公園化される計画があった亀浦倭城を文化財として保護しなければならないと猛反対して、そのお陰もあり城跡は残ることになったそうです。有り難いですね!倭城初心者にもオススメ、1時間の楽しい散策でした。









