蔚山(うるさん)倭城

蔚山(うるさん)倭城([清水山城  周辺城郭])

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蔚山(うるさん)倭城の口コミ情報

2024年06月23日 _ClaD雅楽頭夏でも山城
倭城群の中で最も東に位置する城です。 慶長の役で西生浦(そせんぽ)倭城に入った加藤清正が縄張し、浅野幸長や宍戸元続とともに普請、40日ほどで完成目前となったところに朝鮮・明の連合軍が来襲し、総構を突破されました。城兵が内城まで引いて籠城に耐えるうち、毛利秀元や黒田長政らの援軍が朝鮮と明の連合軍を撃破。
翌慶長3年にも朝鮮・明軍が来襲しましたが、今度は準備万端の清正軍に撃退されました。
その年のうちに清正は帰国命令を受け、蔚山倭城は放棄されました。

激戦地として有名な城ですが、意外と小規模な城でした。普請も山の原地形をあまり改変せずに石を積んでいますが、虎口だけは厳重に横矢を利かせており、そのおかげで落城を免れたのかもしれません。
北虎口は櫓(天守?)からの横矢で厳重に守られているのですが、残念ながら旧状ははっきりしません。東虎口周辺と違って、石垣は復元されていませんでした。
舟入は発掘されて出てきたようです。現状では市街地がすぐ近くに迫っており、川に面してはいません。
本丸中央の池は「籠城して水がなくなり、馬の血や小便を溜めて飲んだ」という説明でしたが、縄張図には「噴水」と書かれており、遺構かどうかはわかりません。
今後の発掘調査が進めば新たな遺構が見つかるかもしれません。

2024年06月16日 生駒讃岐守江現蔵✿


蔚山倭城(ウルサン倭城)は1597年の慶長の役に加藤清正、毛利秀元、浅野幸長らが築城しました。蔚山市は現在は工業都市として栄えています。

城跡は海岸から太和江という川を10kmほどさかのぼった所、支流との合流地点近くの標高50mほどの丘にあります。清正・幸長らは完成目前で明と朝鮮連合軍の6万の大軍に攻められ、西生浦ソセンポ倭城から黒田長政らの援軍が来るまで10日間籠城してなんとか凌ぎきったそうです。

韓国倭城オフ会〜兵どもの夢の先〜6月9日、釜山から北へバスで1時間、24名の城友さんとの4城目です。

城は鶴城公園として整備されていて、日本語で二之丸、本丸と書いたハングル文字の説明板があり、三丸趾、舟入趾の石碑もありました。主郭から南東と北東に伸びる2つの登り石垣、食料不足の籠城を耐えた池には今も水があります。

公園の入り口には、蔚山城の戦いの毎日の戦争日誌のような説明があるので、スマホ翻訳で読むと面白いです。戦いの様子のレリーフ、明と朝鮮の将軍の銅像もあります。曇り空の中、1時間半の楽しい散策でした。

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