本経寺

本経寺([玖島城  寺社・史跡])

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本経寺の口コミ情報

2023年09月17日 龍馬備中守【】


長崎県の大村市にある【本経寺】♪今日は、城郭ではありません♪この本経寺は、大村氏の菩提寺であります♪

キリシタン大名として、有名な大村氏です♪
肥前国は長崎県・彼杵郡を中心に勢力を振るった戦国大名です♪

この大村一族は、藤原純友の孫である藤原直澄が正暦5年(994年)伊予国大州より肥前国彼杵郡大村に入部して大村氏を称した事に始まるといわれています♪

鎌倉時代、大村忠澄の代には源頼朝に仕えていて鎌倉時代には藤津、彼杵2郡の地頭職に就き在地掌握を強めました♪大村家信は元寇防塁で有名な元寇襲来時に参戦していて、1289年(正応2年)元寇の恩賞として肥前神崎荘の田地3町と屋敷を与えられました♪

戦国時代に入る1474年(文明6年)島原、有馬氏に追われた事で一時弱体化しちゃいますが、1480年には旧領を回復し大村純忠の代に再び彼杵郡を支配しています♪

この大村純忠は1563年(永禄6年)日本初のキリシタン大名になり、長崎の港を開港し長崎や付近の茂木の領地をイエズス会へ寄進し、ローマ教皇に少年使節を派遣したりもしました♪熱心なキリシタンとして、貿易を行い、所領を潤していたのでしょうね〜♪

ただ、佐嘉の龍造寺氏との抗争も激化しだしていて、1580年(天正8年)には家臣に組み込まれ居城からも退去させられていますが、沖田畷の戦いによる龍造寺隆信の敗死により1584年(天正12年)再び彼杵の支配権を回復しています☆

大村純忠の子・大村喜前は豊臣秀吉の九州征伐に従軍し、この功によって1587年(天正15年)豊臣秀吉から2万7900石余の本領安堵の朱印を与えられました♪が、キリシタンには辛い時代が続いていきます…大村喜前は秀吉のバテレン追放令に従って日蓮宗に改宗した上で、キリシタンを厳しく弾圧する様になっていきました…。。

その頃から代々、領主大村氏の墓石にも、キリシタンでは無い仏教徒としての、生き様が刻まれていくのですが、コレがまた凄いんです♪在地にて生きた武将の力具合、影響力は、その墓所を見れば分かります♪大村氏の墓石はまた、力強く、美しく現在に残ります♪沢山の力ある、大名、藩主の墓所は見てきましたが、大村氏の墓石は、キリシタンを否定しているかの様に見えました♪それは、近世に入り更にキリシタンへの弾圧を激しい物とし、鎖国を禁止していく、徳川幕府への忠義的なものすらも感じてしまいました☆

それは徳川家の力が絶大なモノがあったという証拠なのでしょうね♪
そうは良いながらも、シッカリ、キリシタン灯籠を使っている所を見ると、信仰心の炎は燻っていたのかもしれません☆至る所にあるクルスを連想させる十字のラインにも注目してしまいました♪墓石、石塔の繊細さ、美しさを感じてしまいました♪面白かった〜♪

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