刈萱城(星鹿城山)

刈萱城(星鹿城山)([日本山城  周辺城郭])

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刈萱城(星鹿城山)の口コミ情報

2024年11月03日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


長崎県松浦市の星鹿町にある【刈萱城 】♪城山の標高128mに立地した、中世の山城です♪
中世といっても、初期段階の鎌倉時代の城郭と伝わり、現在は城山展望台となっています♪星鹿町下田免の東部に突き出した半島があり、コレが城山です♪展望所からは元寇で激戦となった、鷹島や青島を見る事が出来ます♪

建久2年(1191年)、源頼朝から下向を命ぜられた加藤左衛門重氏が、この城山に城郭を築いたと云われています♪加藤左衛門重氏という人物ですが、元々は平家方の大将でありましたが、平家が戦いに敗れた際に源氏に降り、源頼朝に仕えたといいます♪加藤左衛門重氏は、やがて付近6ヵ国を支配する様になり、さらに肥前松浦一族の本貫の御厨庄に出向いて、みずから城山に築城をしたと伝わります(西陽記録・肥前記 )♪その後、加藤左衛門重氏は、この城を棄て紀州高野山に移ったとも伝えられています♪

高野山に移ったとされるものが、松浦の民話に残っていました♪『重氏には千里姫という美しい側室がおり、世継ぎとして生まれた子供は、千里姫の子供、石童丸でした。これが正室のねたみをかい、ある夜、千里姫の身の危険を感じて身代わりとなって寝ていた侍女が、とうとう刀で刺されてしまいました。重氏は心を痛めた末、ある夜とうとう城を捨て、行方知れずとなりました。石童丸は成長すると父を慕う気持ちが強くなり、風の便りに重氏のことを聞いていた母の千里姫と一緒に、和歌山の高野山まで会いに行くことにしました。千里姫は長旅の疲れと持病のため、重氏に会えないまま高野山の麓の宿屋で亡くなりました。石童丸は、父上に間違いないのに父とは名のらない「刈萱童心」という僧の弟子となり、一生を送ったそうです。』
ファンタジーですね♪

展望台の整備などにより、大分形は変わっていそうですが、山頂には本丸の輪郭が残っており、看板もありました♪
凄く気持ちが良い場所で、付近一帯を見晴らす展望が楽しめます♪
少し前に口コミをした逃の浦の石塁(元寇防塁)♪時を後にして、この地域の領主・関係者が築いたものなのでしょうね♪自分達の領地を守りたい一心♪沿岸部沿いは石塁で防御を、いざとなれば星鹿城山に籠り戦う♪まさにその後の乱世(南北朝、戦国時代)に通じていく、もっと古い時代に育まれた造り方、場所の選定や効果などなど、改めて感じ考える事が出来ました♪中世はどうなっていたのか?は解らず仕舞いでした。。ただ、ロケーションの良い場所である事から、伊万里湾に侵攻する物見の様なものだったり、狼煙台的な役割はあったんでは無いか?と思われます♪つまり、松浦党の城郭かな?因みに、時代感が変わるのですが、第二次世界大戦中には砲台が構築されています♪

星鹿城山展望台に向かう道路は崩れによる、工事で通行止めになっていました。

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