ふいが城

ふいが城([立石城  周辺城郭])

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ふいが城の口コミ情報

2021年07月16日 【猛】源九郎豊前守牛若丸


残念ながらこの城跡は九州横断自動車道の建設に伴い遺構が破壊されていますが、「大分の中世城館」にふいが城の説明がありましたので以下にご紹介します。以下の記述からすると、遺構が残っていないのが残念でなりません。

<<立地>> 別府市街地の扇状地を望む鶴見岳や硫黄岳の火山群から東に張り出すように延びる丘陵の先端部にあり、小さな独立した山の頂上の北東隅に立地していたようです。標高は390mほどで、湯山の集落とはあまり比高差はないものの、一度谷に下るため実際は70mほどの比高差となるようです。場所は、高原地帯を通って豊前や玖珠方面に抜けるルート上にあったそうです。

<<現状>> 大分自動車建設工事に先立ち発掘調査が行われ、調査後主要部は破壊されてしまっているようです。

<<構造>> 山頂部は150m四方ほどの平坦面があるが、城は内東側のピーク部分を利用して造られていたようです。最高所を「L」字状に横堀で囲み、東西44mで南北28mほどの平場(曲輪)を形成していたそうです。横堀は、幅6~8m、深さは2~3.5mある大きなものだったみたいです。堀の外側には盛土が認められ、土塁が構築されていたと考えられていたようです。堀は一度掘り直しされているが、規模は拡大されていなかったそうです。曲輪は北側に三段の帯曲輪を有していたみたいです。全面調査されたようですが、建物は確認されていないようです。出土遺物は少なかったみたいですが、堀の構築は14世紀中頃から後半、掘り直しは15世紀から16世紀前半とされているようです。

<<歴史>> 同時代史料には記載が無く詳細は不明みたいです。しかし、位置から別府市北部に広がる竈門荘の地頭竈門氏との関係を想定できるとありました。一般に横堀の発達が戦国期後半であることからすればやや突出した時期となるようですが、南北朝期における小城郭の一類型として貴重な存在だったようです。

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