高山古戦場跡
高山古戦場跡([光岡城 碑・説明板])
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高山古戦場跡の口コミ情報
2022年04月01日 【猛】源九郎豊前守牛若丸
「日本城郭大系」では高尾城・多賀城・麻生城とも呼ばれている高尾山城に約千人の軍勢で籠城し、大友軍二千五百余騎を迎え撃ったとありました。
非道な政策をしていた妙見嶽城主田原親賢の一子新三郎が、大友館に人質として出されていた高尾山城主麻生摂津守親政の嫡子七郎を虐待しており、その遺恨よって七郎が新三郎を刺し殺し、自らも切腹して果てたそうです。
この事件を発端に、毛利氏に就き、反大友の立場を明らかにし、軍備を整えたとありました。
大友方は総軍奉行に田原親賢を命じ、光岡城主赤尾賢種、中島城(高家城)主中島房直らの軍勢で高尾山城を包囲したようですが、日頃同じ宇佐郡の同士であるので、鉄砲は空に向かって撃ち、なんとか降伏させようとしたので、麻生親政は同士の好意を謝し、辞世の和歌を残して18人の一族と共に猛火の城中で自害して果てたそうです。
何とも哀しい古戦場跡のようです。石碑はひっそりと建っているので見落とすかもしれません。