白山神社
白山神社([柳川城 寺社・史跡])
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白山神社の口コミ情報
2022年08月02日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
福岡県の柳川市にある【白山神社】♪矢部川の支流の沖端川の右岸に立地します♪
吉開の中にある神社⛩の口コミとなります♪航空写真から見ると蛇行するクリーク(濠)に囲まれた小字、本村の中に取り込まれます♪
江戸時代には柳川藩領となり、柳川藩・家老の米多比鎮久の知行地となっています♪
立花氏の家臣で、立花四天王とも立花五城主の1人とも呼ばれています♪
この米多比氏は筑前糟屋郡・米多比山に居城した事から『米多比』を称する様になります♪中世の米多比氏は豊後国の大友氏に属した一族と、周防国の大内氏に属した一族に分かれていて周防国、大内氏滅亡後は宗像大宮司宗像氏貞に属し宗像氏・立花氏の境界となると古賀で、米多比一族同士で対峙したりしています☆
そんな米多比鎮久は立花宗茂と共に戦陣を歩んで行きますが…♪
関ヶ原の戦いで西軍に属した立花宗茂が改易されると一時、肥後国・熊本藩主の加藤清正に三千石で仕えています☆
肥後国・2代目の加藤忠広の時に起きたお家騒動『牛方馬方騒動』に巻き込まれ、証人として江戸に登った後に往時、陸奥棚倉にいた立花宗茂の預かりになります♪またまた共に歩む、米多比鎮久です♪
そして…大坂の陣の立花宗茂の功績は徳川幕府から認められ元和6年(1620年)に旧領の筑後国・柳川10万9,200石を与えられました☆米多比鎮久は呼び戻され番頭として千石を賜っています☆この時の知行地の1つが吉開になります☆この白山神社に米多比鎮久は石鳥居を寄進しています☆この白山神社には肥前狛犬❓なのかな〜❓似ている狛犬がいました☆
残念ながら、クリークの残る場所だったので城館、居館かと思いましたが、最後まで解らず仕舞いでした☆近世からは歴史が出てくるのですが、中世は…。。そういった集落は沢山在るんだろうな☆
そんな沢山の集落達✨少しでも歴史的な手掛かりがあるならば✨引き続きpickupしていこうと思います♪