禅院城

禅院城([女山神籠石  周辺城郭])

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禅院城の口コミ情報

2023年06月10日 龍馬備中守【】


福岡県のみやま市にある【禅院城】♪清水山連山から派生される尾根筋の北端で眼下には矢部川が流れます♪小田城の北東側の山陵地帯で建仁寺、禅院熊野神社の南側の標高141mに城郭は存在します♪

城の築城主は溝口氏と云われていますが、詳細は不明な山城です☆この溝口氏は平安時代からの国人領主とも云われています☆
戦国時代に溝口氏の領地として矢部川北岸の溝口村、更には南岸の小田村とで構成されていました♪小田城の出城だったんではないか?
位置関係からもそう考える事が出来ます♪

禅院城は弓形状の尾根上を削平し城郭としています♪この尾根の最高所(141m)を主郭として西に副郭、更には段を付けて、それともう1つの郭を造り3つの郭から成ります♪
東側の尾根を堀切で切断し西側も同様にと、まぁここ迄は良くある城郭です♪
がしかし、南側の防御に長大な横堀を入れ込み、斜面には数条の竪堀を落とす♪お〜♪正しく戦国時代末期の顔に♪そして、小田城程では無いにしても、土木量♪
南側は肥後、更には薩摩へと続いていく為に、やはり、大友氏か?龍造寺氏?の手が入っているのか?ハタマタ筑紫広門?の横堀なのか?謎を極めます☆

因みに禅院城の麓♪山腹には建仁寺があります♪この建仁寺の上の墓群の中には大友菊子の墓が残ります☆戦国末期の天正12年(1584年)豊後国を押さえた大友氏の将である高橋紹運、戸部道雪は上妻郡・猫尾城主の黒木氏を攻めた後に、ここ建仁寺に詣でています☆そして建仁寺制札をだし乱暴狼藉や竹材を伐採する事を禁止し違反する者は厳罰に処することを命じています☆
また境内には大友宗麟の嫡男・大友義統の妻で立花宗茂の叔母である菊子の法名『尊乗院殿日正妙智大姉』が刻まれた石塔が残ります☆この大友菊子は立花宗茂が柳川城主となっていた際に、立花宗茂の元に身を寄せ禅院村の建仁寺に屋敷を与えられています♪

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