松延城
松延城([女山神籠石 周辺城郭])
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松延城の口コミ情報
2022年04月17日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
福岡県のみやま市にある【松延城】♪矢部川と飯江川間に広がる平野の中央部に立地する松延集落です☆
この松延集落の北西部に松延城は存在しました♪
平安末期から見える地名は古来より人々が暮らしていた事が分かります☆
この平安末期、松延集落を含む小河荘が一円不輸の地だった様です☆※(国家への租税の一部または全てが免除された)
ここ松延集落は大宮司公基の私領として、国庫に弁済する他に、田率、穀物、公事、雑役を免除されていました♪
戦国時代の天正7年頃に龍造寺氏が田尻氏の知行地として安堵していますが、天正12年には龍造寺軍が松延城に侵攻してきていて、蒲池鎮運と合戦に発展しています☆
時の松延城主は樺島式部☆山下城主、蒲池氏に加勢しました☆結果的に蒲池鎮運は松延城の防衛に成功♪蒲池氏は坂田隼人佐(樺島式部の家臣)に対して領地2町を与えています♪
天正7年〜12年にかけて龍造寺家臣・田尻氏?蒲池氏家臣・樺島氏に坂田氏?この頃にこの地では取った取られたの領地争いが行われていた事が考えられますね☆
天正15年には立花宗茂の家臣・立花三郎右衛門が松延城城番になり江戸時代の慶長5年には田中吉政の家臣・松野主馬が城番を務め1万2千石を賜ります☆
現在も本丸、二ノ丸、三ノ丸、鍛冶屋町、扇子町、鎧町などの地名を残しています☆
集落にある天満宮ですが、龍造寺氏の兵火で焼失したとされますが、立花宗茂が再興しています♪
目ぼしい遺構は濠、一段高まる丘陵地☆主要部と思われます♪