旗振嶺城

旗振嶺城([雷山神籠石  周辺城郭])

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旗振嶺城の口コミ情報

2024年08月08日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


福岡県糸島市にある【旗振嶺城】♪福岡県糸島市と佐賀県佐賀市の境にある、雷山(標高954m)の北側斜面中腹(417m付近)に立地した、コチラは中世の山城となります♪

雷山神籠石の西の山(旗振山)♪コレが城郭です♪ピークには三角点があり、この場所が主郭か?単郭に見えなくは無いが、南北に削平地を付けています♪北向きには大堀切を構え、防御に力を入れています♪旗振山の下には雷山神籠石があり、その直ぐ東側も削平地があります♪雷山神籠石を挟み、西と東で郭を展開していたのかもしれません♪糸島の大半を遠望出来る、景勝の地となります♪

この城郭は筒城の物見の砦と伝わります♪
筒城とは、実は雷山神籠石を利用して築城されたものと思われ、城跡遺構は不明となりますが、雷山神籠石の一帯を筒原と呼んでいて、付近一帯が筒城となります♪

中世は高祖山城の原田氏の領有するエリアである糸島ですが、この城郭は原田氏の家臣である西重国が城代として拠っていました♪
天文22年(1553年)高祖山城が落城し、原田氏の勢力が衰えると、西重国は豊後国の大友氏に従い、旧主である原田氏に不得の態度を示しています。長石にある宝珠岳城主・西左近鎮兼は西重国の兄弟ですが、宝珠岳城を原田隆種によって落とされています。その際に逃れたのが筒城で、原田氏の軍勢に攻められて、遂には旗振嶺城にて割腹し果てています。。
コレは永禄10年(1567年)の出来事ですが、原田氏の高祖山城からは、納富氏、深江氏の両将を大将とし近藤左近、得永弥五郎を副将として、500余騎で筒城を攻めています。
西重国は肥前の龍造寺氏に援軍を願い出るも間に合わず、筒城も一夜にして落城しています。この戦いで、双方150名余の戦死者を出し、不動滝は真赤に染ったと云われます。
西重国は、山越しに逃れる途中、筑後高良山の麓で清原左近、大神甚太らの追手に討たれてしまいました…。コレにより西氏は滅亡しています。。

付近には雷神社(神宮)が鎮座します♪古来、女人の参拝を許さなかった場所となります♪境内に天然記念物の千年杉や樟の大木が残ってます♪この雷神社は暦応5年(1342年)九州探題の一色範氏から、雨乞い祈祷の催促文や、足利尊氏の庶子、足利直冬が参詣し、雨乞い祈願しています♪また天平15年(1587年)筑前領主になった小早川隆景が6石を寄進しました♪後の福岡藩の黒田忠之、黒田継高からの寄進で26石に回復しています♪

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