繋城
繋城([高祖城 周辺城郭])
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繋城の口コミ情報
2025年04月19日 龍馬備中守【】
福岡県糸島市の前原南にある、繋城♪現在は糸島高校の場所が繋城で、遺構は消失しています♪高台が残る程度となっています♪
築城年代は不明ではありますが、波多江種貞によって築かれたと伝わります♪永禄年間(1558年〜1570年)には、波多江鎮種の居城であったと伝わります♪
この波多江氏ですが大蔵春実の三男・美気種季を祖とする美気家は、五代目となる美気種房の代の1111年に、筑前国波多江庄を領しています♪
7代目である美気種名の代には、大蔵春実の長男・原田泰種を祖とする原田家から原田種直の弟・原田敦種が養嗣子となり、後に種貞に改名をして、波多江を称しています♪この波多江種貞が、波多江氏の祖となります♪
治承・寿永の乱では平家方に属し、波多江種貞は葦屋浦の戦いで下河辺行平により討ち取られています。二代目の波多江種遠は壇ノ浦の戦いの後に鎌倉に送られますが、後に赦免され、波多江庄に戻っています♪
南北朝時代には、主に南朝に与した記録が残されていて、戦国時代には原田氏の有力家臣として、行動を共にしました♪豊臣秀吉による九州平定後は、朝鮮出兵で渡海した中にも名前があり、その中には最終的に帰農するものも現れています。
中世の波多江氏一族は、現在の波多江地区を中心として、怡土・志摩両郡その他に、多く散在しています♪ 『高祖侍帳』における、波多江高辻城主・波多江丹後守、前原岳篠原城主・波多江讃守、小倉山口預りの波多江兵庫、さらに原田信種に従った波多江種則の怡土郡長野郷退隠など、意外に波多江氏の記載は残っています♪
現在でも、糸島市波多江として地名が残されている波多江氏です♪
現在は糸島高校の敷地となり、遺構は残ってません。繋城は舞岳城の支城で、原田氏の高祖山城との間にあります♪まさに、つなぎの城ですね♪