鷹尾城

鷹尾城([猫尾城  周辺城郭])

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鷹尾城の口コミ情報

2024年06月29日 RED副将軍


堀切、横堀、畝状竪堀群が残る犬尾城の支城🏯

オススメ度 ★★★★⭐︎

築城年代は不詳。犬尾城の支城として河崎氏によって築かれたと云われます。
河崎氏は、猫尾城主である黒木助能の嫡男である定宗が1191年に猫尾城の支城として犬尾城を築いて居城とし河崎氏を称したのが始まりとされます。
河崎氏は大友氏に属し、1579年に龍造寺隆信の侵攻により犬尾城は落城するも、島津氏の協力を得て犬尾城を修築。
1587年、豊臣秀吉による九州征伐において抵抗するも敗れて犬尾城は廃城。近隣の鷹尾城も同様の歴史を辿ったと思われます。

見所
犬尾城から南西へ約500m尾根を進んだ別峰に築かれています。
最高所の主郭は東西に長く、大きく三段の削平地で構成。
東端に金比羅神社が鎮座し、南下に腰郭を敷設。
東側の尾根は大堀切で分断され、東側から北側へと横堀が巡ります。切岸もなかなかの鋭さです。
西側の斜面には竹ヤブの中に畝状竪堀群が残っています。

行き方は、県立ふれあいの家南筑後を目標に設定。犬尾城への登城口であり、その尾根続きの先に鷹尾城があります。

2022年02月01日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


福岡県の八女市にある【鷹尾城】♪矢部川の支流の星野川に面した山内集落☆この山内の北の山上に城郭は存在します☆犬尾城を本城として、そこから繋がる尾根上の別峰に鷹尾城は立地します♪別名を笹ノ城と呼び、建久年間から戦国時代にかけてここ山内地区に勢力を張っていた黒木氏一族の武将・河崎氏が、本城として構えた犬尾城の支城が鷹尾城と云う訳です☆

城主・河崎氏は大友方に属してましたが2度ほど離反☆立花道雪・高橋紹運に攻撃されたことなどが記録に残っています☆※戦国期にみられる河崎鑑実や河崎鎮則など大友義鑑・義鎮(宗麟)から1字を賜っている事から大友氏に臣従していたものと思われます☆

さて♪この河崎氏は筑後十五城の星野氏や黒木氏と同じく、古代の調氏の後胤である黒木大蔵大輔源助能の末裔と伝わり古くからいた存在です☆河崎助能の長男である河崎貞宗が現在の八女市北部の地を領していて、犬尾城を居城とし河崎氏を称したとされている一族です☆
城主・河崎鎮則は大友軍に攻められ…更には九州征伐に来た豊臣秀吉にも対抗しております☆古くから居城を構え根を張った訳ですから、そう簡単にはこの地は渡さない!
意地が最後まで大御所に牙を向けたのでしょう☆

城郭遺構としては巨大な堀切、空堀、畝状竪堀群、土塁など明瞭に残っています☆犬尾城の堀の規模感とは全く異なる事から戦国も後期に造られたものでしょう☆元々は犬尾城が本城ですが、尾根伝いの南にこの鷹尾城、東に東山城が配されています☆

元は砦程度のモノがあったが、ヤバいぞ…デカイ勢力が攻めにくるぞ…となり掘り切った結果、あれだけの馬鹿デカい堀切が形成されたのでは無いか❓としか考えが付きません☆環境面や情勢などから、犬尾城からの拡張拡大が行われたんじゃ無いかなぁ〜❓即ち…1つの城郭と解釈します♪
鷹尾城は犬尾城から南に尾根伝いに直接500mも無いです☆犬尾城から鷹尾城に繋がる尾根部動線にも城郭と思われる削平地や造作跡が残ってます☆

因みに城郭の南直下には東館遺跡が所在していて城下の町や館が攻め入られた際に、ただちに逃げ込む城郭であったと思われます☆
攻め手が来たら鷹尾城で食い止める☆
それ以上来られたら…デッドゾーン!
鷹尾城は犬尾城の南側の防衛ラインと考えます☆

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