犬尾城
犬尾城([猫尾城 周辺城郭])
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犬尾城の口コミ情報
2023年02月23日 RED副将軍
猫尾城の支城である犬尾城ちなみに近くには鷹尾城、兎城もあります✨
オススメ度 ★★★★⭐︎
1191年に川崎定景により築城。河崎定景は、猫尾城主である黒木助能の嫡男であり、猫尾城の支城として河崎氏代々の居城となりました。戦国時代は、河崎氏は大友氏に属し、1579年に龍造寺隆信による侵攻を受けて落城。その後は島津氏に属し、犬尾城を修築。1587年の豊臣秀吉による九州征伐においては抵抗するも敗れ、犬尾城は廃城となりました。
見所
比高200m程の南北に伸びる尾根を削平した単郭の城跡です。単郭といえ南北に70mほどの規模で北から東にかけて土塁が巡ります。また北側、南西側、南東側に伸びる尾根筋を大堀切で断ち切っているのが特徴的です。西側下には畝状竪堀、東側下は二重に土塁が盛られ横堀状になっています。
行き方は、国道422号から城跡まで林道が付いています。車3台程の駐車スペースもありました、但し、道幅は狭く未舗装もあります。
2022年01月31日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
福岡県の八女市にある【犬尾城】♪ 別名を河崎城・犬尾篠山城・生駒城と呼びます☆鎌倉時代初期、黒木助能の嫡男の河崎三郎定宗が築城したのが始まりとなります☆
その後、代々城主を務めていく河崎氏は大友氏に属しました(2度ほど離反してます)大友方に属していた為に龍造寺隆信に攻められて落城しますが、河崎家は生き延び、城主・河崎鎮則の時に当城を修築しています☆その後は島津氏に属しました☆秀吉による九州征伐の際に抵抗して敗れてしまい河崎鎮則の滅びと共に犬尾城は廃城となります☆
星野川の北側の標高約180メートルの尾根上に築かれた城郭です☆残る遺構としては本丸と二の丸の間に堀切、本丸北側には土塁が残ります☆犬尾城からの尾根続きの東と南側には、それぞれ出丸的な役割を果たしたと思われる茶臼山城、鷹尾城が築かれています♪同山の中にこれでもか❗️という位造られた城郭遺構が残ってます☆
2021年03月23日 榎晴信肥後守
犬尾城跡は建久2年(1191年)猫尾城主黒木助能の嫡男川崎定景により築かれ以来河崎氏の居城となる。
代々の城主河崎氏は大友氏に属するも、龍造寺方に攻められ落城降伏。その後は島津に属して秀吉の九州征伐の際に抵抗して敗れ廃城となりました。
猫尾城の支城の犬尾城。何かかわいいネ―ミングですが猫尾城主の黒木氏と親戚の犬尾城主の河崎氏が後に不仲になり猫尾に対抗して犬尾にしたとの話も伝わります。周辺には兎城なんて城も有って面白いですね。
城は南北100㍍東西25㍍のさほど大きい城ではありませんが郭には土塁を巡らし堀切、畝竪、部分的には二重になる横堀など厳重に防備されています。
案内ですがGoogleマップに登録されていますのでナビどうりに行けば城跡直下までたどり着けます。ただ最後付近は未舗装で道幅も狭いので軽自動車以外はすぐ近くの童男山古墳の駐車場を利用するのが無難です。