問本城

問本城([発心城  周辺城郭])

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問本城の口コミ情報

2025年11月19日 龍馬備中守【】


福岡県久留米市の田主丸町竹野にある【問本城】♪耳納連山の中程で、発心城のある発心山から北側に向かい、標高を下げながら、山々が連なります。発心城からは、北東側に直線1.8k程の山間部に、問本城は立地します。西側の直線1.5k程の尾根には、発心城・上の城(草野町草野)、また東側に直線2k付近には、西葛尾城、高野城、内山城、高丸城(田主丸町益生田)と、城郭が密集する地点でもあります。

問本城ですが、詳しい詳細は不明ですが、問注所鑑豊の城と伝わります。また、戸次鑑連(後の立花道雪)の娘・誾千代が生誕したと伝わる城でもあります。永禄12年(1569年)豊後大友家の重臣であった戸次鑑連(道雪)と、問註所鑑豊の娘・仁志姫の娘として、誾千代はこの問本城で生まれています。その2年後の元亀2年(1571年)に、戸次鑑連は大友宗麟の命により、筑前国の重要拠点である立花山城の城督となり、当時3歳の誾千代も立花山城へ移っています。

戸次鑑連は、戸次家の家督を、甥で嗣子とした戸次鎮連に譲り、立花山城で新たな家臣団を組織していくのですが…。大友宗麟・義統は、男子のいない道雪(天正2年に道雪と称してます)に対し、戸次鎮連の子供から養子を迎えて、立花城家督を譲るよう勧めます。しかし、戸次鑑連はこれを聞き入れず、娘である誾千代に城督・城領を譲り、ここに僅か7歳の女城督が誕生する事になっています。

誾千代13歳の時、戸次家の養子となった高橋統虎(後に柳川藩初代藩主となる立花宗茂)を婿に迎え、19歳の時、大友家家臣から一国の大名となった立花宗茂と共に、筑後柳川城へ居城を移しています。しかしその後、宮永の屋敷に移り、夫・宗茂とは別居を余儀なくされています。

関ヶ原合戦の後、西軍についた立花氏は改易されてしまい、加藤清正の庇護の下にあった誾千代は、慶長7年(1602年)玉名郡腹赤村で病没したと伝わります。享年35歳、法名は光照院殿泉誉良清大禅定尼です。…と、誾千代ストーリーでした。

城郭は、藪藪の中です。削平地が筑紫平野を監視する様に展開されていますが、堀などの確認は出来ませんでした。巨大な谷を両端に持つ為、コレを天然の要害として使用した事でしょう。

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