竹井城

竹井城([発心城  周辺城郭])

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竹井城の口コミ情報

2023年05月29日 龍馬備中守【】


福岡県の久留米市にある【竹井城】♪耳納山地の西端は高良山があり、古来より宗教的権威を核とする勢力が集結♪続く東に連なる尾根の山上、または麓周辺には星野氏、問註所氏、草野氏、河崎氏、黒木氏etcの豪族が割拠したエリアでもあります♪この竹井城は草野氏の城郭となります♪

鎌倉時代よりこの地を治めた草野氏です♪
後の戦国の世には本城を発心城へ移し、竹井城を始めとして支城群で固めています♪

この草野氏は藤原北家流と云われていて、肥前高木氏・肥後菊池氏・上妻氏、更には龍造寺氏らと同族と伝わります♪長寛2年(1164年)に高木宗貞の子である高木永経は、肥前国は佐嘉郡高木庄から筑後国は山本郡草野荘の吉木に移住して竹井城を築きました♪
以後、永経は地名により草野氏を称する様になっています♪草野永経が筑後に移った頃の中央では、保元・平治の乱が勃発⭐︎源氏を倒した平氏が『平家にあらずんば人でなし』と全盛期を誇った時代となります⭐︎
後に伊豆の源頼朝が平氏打倒の兵を挙げ源平合戦が始まると、草野永経は肥後・菊地氏らと共に源氏方に味方します♪
元暦元年(1184年)に平氏と戦った功により、文治2年(1186年)源頼朝から御井・御原・山本など三千町歩の所領を賜っています♪

草野永経の子・永平も源平合戦で功があり、筑後国在国司・押領使両職を安堵され、更には肥前国鏡社大宮司(松浦郡)に補任されました♪草野氏は筑後・肥前にまたがる一大勢力へと登り詰め、中世を通して筑後・肥前を舞台に活躍しました♪

弘安3年(1281年)『弘安の役』では草野永綱・経永父子が出陣♪草野経永は肥前国唐津庄を領していて、『弘安の役』の勲功により唐津庄を賜っています♪

唐津を賜った草野氏は鬼ヶ城(post済)を本拠として、引き続き鏡神社の宮司を兼ねました♪そして筑後草野氏が本家、肥前の松浦草野氏は庶子家としてそれぞれ発展していきました⭐︎因みに、この松浦草野氏は天正2年に肥前国・龍造寺隆信により落とされ、筑前国は二重城へ逃れています⭐︎

さてそんな草野氏ですが、中世の動乱に翻弄されていきます…南北朝の動乱期には宮方として足利尊氏を迎え撃つ体制を取り、菊池氏、阿蘇氏の構える南朝方へ⭐︎草野永久は出陣⭐︎多々良浜の戦い♪が、これに敗れてしまう訳ですが…この戦いに勝利し上洛した足利尊氏は九州の押えとして九州探題を設置し宮方に対峙させていて、一時の草野氏は宮方から探題方に転じています♪が、その後は南朝方へ属してます⭐︎草野氏は盛衰を繰り返しながらも、この時期、筑後に一定の勢力を維持してます⭐︎

戦国時代に突入すると周防・大内氏は北九州に進出⭐︎大内氏は鎮西の有力者だった少弐氏、豊後の大友氏らと抗争を繰り返しました⭐︎草野氏ら筑後の国人領主は、この狭間に揺られていく訳であります…

その後少弐氏は滅亡し、大内氏も陶晴賢の謀叛によって滅亡していくと、北部九州は豊後国の大友氏と肥前国の龍造寺氏の二大勢力が並び立つ様になり、これに南九州の島津氏が北進の気配をみせる情勢へとなっていきました⭐︎国人領主からしたら…不安定な情勢ですね⭐︎

戦国時代後期の草野氏の当主・草野鎮永は、先祖代々の居城であるこの竹井城に不安を感じ、天正5年(1577年)新たに発心城を築城し本城としています⭐︎

耳川の戦いにより大友氏が島津氏に大敗した事で、筑後の大半の国人領主は龍造寺氏に属する様になっていく訳です⭐︎
その結果、発心城は大友氏、高良山座主、秋月氏らの度重なる攻撃に晒されていきました⭐︎この時に竹井城も同様に攻められたのでしょう⭐︎草野鎮永は良く耐え、その攻守は3年に及んだと伝わります⭐︎

秀吉の九州征伐時には草野鎮永は島津氏に味方して発心城に拠り、秀吉勢を迎え撃ちました⭐︎結果は圧倒的な秀吉軍に抗すべくもなく降伏しています⭐︎
九州を平定した秀吉は九州仕置(戦後処理)を断行⭐︎豊前から四国の伊予への転封を命じられた城井宇都宮氏はそれに抵抗し、遂に中津城に誘い出されて殺されています⭐︎
筑後では草野鎮永が仕置に反発して発心城に立て籠もりますが、小早川秀包に攻められ下山、善導寺に逃げ込んだ草野鎮永は秀吉に謀られ木塚の里で自害したとされています⭐︎
 
草野鎮永が自害した際、子の草野永広は肥前国の鍋島氏に質としてあった為に一命を留め、その後は鍋島氏に仕え一千石を賜った様です♪

2021年03月19日 一寸榎伊予守


城主の草野氏は初代草野永経が肥前高木より筑後吉木に入国してより424年間この地を治めましたが第16代草野家清が秀吉の不興をかい蜂須賀家政に熊本南関にて誘殺され天正16年滅亡しました。

竹井城は若宮八幡宮の背後の丘陵上、標高171㍍に主郭があり南側に堀切、西側に腰曲輪を巡らし12本の畝状空堀群が構築され、北西側には階段状に曲輪を並べその西側に堀切を設けています。回りは後世の段造成が多数ありますが城の遺構はよく残ってました。

行き方ですが先ず若宮八幡宮を目指します。道はさらに山へと続いてますので道なりに登ると開墾記念碑がありますので記念碑の右側から侵入し少し尾根を進めばすぐに城域となります。

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