吉見岳城
吉見岳城([高良山神籠石 周辺城郭])
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吉見岳城の口コミ情報
2024年10月25日 RED副将軍
豊臣秀吉も本陣を布いたとされる耳納の山城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代は不詳。1533年に八尋式部により築かれたとも、1534年に大友義鑑が築いた要害を1569年に大友宗麟が修築したとも伝わります。
大友氏の属城であったことは確かな様で、大友氏傘下の高良山座主である良寛も在城したとされます。
1587年の豊臣秀吉による九州征伐において、豊臣秀吉は吉見岳城に本陣を布き、龍造寺政家と謁見したとされます。
九州平定後に筑後三郡を与えられ久留米城に入った小早川秀包に高良山座主の麟圭は従わず争いに発展。1591年に麟圭は小早川秀包により謀殺され吉見岳城も廃城となりました。
見所
高良山から北西に伸びる尾根続きにある標高157mの吉見岳に築かれています。
山頂に主郭を置き現在は琴平神社が祀られています。主郭の南東端と北西端に土塁が残り、東下は大堀切で遮断。
主郭から西下に二郭、その先に三郭が連なり、その先にも堀切が認められます。
2022年01月29日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
福岡県の久留米市の高良山にある【吉見岳城】♪耳納連山の西側に立地した戦国の山城は高良大社の座主の山城と云われます♪
築城主、築城時期には諸説ありますが、高良山の地侍・八尋式部が築城したという説と、高良山座主良寛が在城し次いで麟圭が拠ったという説があります☆
城郭の造り方は紛れも無く中世の山城の顔をしています☆
それもその筈で、大友義鑑が筑後出馬の際にこの地に陣を張り要害を設けました☆
大友義鑑の子である、大友義鎮(後の大友宗麟)が肥前の熊こと、龍造寺隆信との戦い時に本陣として城郭を改築した様です☆
その後は大友方の城郭として高良大社と共に成り立っていたと考えられます♪
秀吉による島津攻めの途中に、当の本人が吉見岳城に布陣もしています☆
毛利秀包が久留米城に入城すると、当主である麟圭はこの吉見岳城に籠り毛利秀包と争いますが、麟圭は誘殺され、同時に廃城となりました☆
高良大社から西に伸びた尾根上に城郭は造られ、展望は抜群♪眼下には筑後川、東に浮羽、西には佐賀平野、北は小郡一帯が望める好立地な物件なのであります☆
この吉見岳城周辺、というより、高良大社周辺は山城が幾つもあります☆それは高良大社という寺院の影響力や支配力、この地においての力があったと読み取れます☆以前にも書きましたが豊後の名族、大友氏と繋がった高良大社は大名化していたのでしょう☆