上津土塁
上津土塁([高良山神籠石 周辺城郭])
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上津土塁の口コミ情報
2021年11月05日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
福岡県の久留米市にある【上津土塁】♪土塁の痕跡が住宅地に残ります♪
この土塁は古代にヤマト政権の大宰府を守る為に築かれた土塁になります☆
天智2年(663年)唐・新羅の連合軍に滅ぼされた百済の再建を支援する為に朝鮮半島に出兵した倭国(日本)は白村江の戦いで大敗してしまいます☆
その後、大宰府を中心とした北部九州の防衛の一つとして、久留米市の南側に、この上津土塁は築かれました☆※福岡県の大野城、水城、高良山城、佐賀県の基肄城、岡山県の鬼ノ城、香川県の城山城、熊本県の鞠智城等が同年代に築かれたものになっています☆大野城の様な『古代山城』と水城や【上津土塁】の様な『土塁』に守られた太宰府は、行政機関として凄く重要な場所だったという訳です♪
太宰府より南方にある基肄城、高良山城がこの太宰府を守り高良山城から更に南にある【上津土塁】が有明海方面からの侵入者からヤマト政権を守る為に土塁を構えていた☆凄くないですか?
太宰府からは直線にして20キロ位かな〜☆距離がある訳なので、その守り方といったら通常の城郭とは全く違いますね♪それだけヤマト政権の力は絶大だったという事ですね♪
現在、光明寺を区画して状態で土塁の一部は残っています☆写真のコンクリートで保護された高まりが【上津土塁】となります☆此れが残っている事が凄いです♪