神代館
神代館([久留米城 周辺城郭])
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神代館の口コミ情報
2021年11月04日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
福岡県の久留米市にある【筑後・神代館】♪築城年代は定かではありませんが神代良続が築かれてたと伝わります☆この神代家は高良玉垂命の後裔と云われています☆以後、代々にわたり神代氏の居城として存在しました☆
戦国時代には『隈代』として島津家久上京日記にその地名が出て来ます♪上井覚兼日記にも『隈代の渡』と出てきてて、いずれも神代集落の事です♪更に紹釼日記では筑後川の事を『くましろ川』と称してもいます♪
神代氏の家譜(筑後国史)には大祝美濃理麿保続の次男・武勢麿良続が白鳳の頃に武人になって御井郡・神代村に居館して神代氏を称したのが始まりで戦国期には神代対馬守顕元が出亡して肥前に土着したと伝わります☆
そうなんです☆コレにより龍造寺隆信とバチバチした三瀬城の神代勝利の祖先様と云う訳です☆肥前史に繋がります☆
この神代家は『文永の役』に際して博多に向かう肥薩方面の軍勢の筑後川渡河を神代良忠が調略をもって援けたという所伝が残り鎌倉後期の作と伝わります☆
「絹本着色観興寺縁起」(国重文)に神代の浮橋および神代館の様子が描かれていて神代は筑後川の重要な渡河地点になっていた様で中世にはその渡し場の通行権を高良社が保持して、その管理に大祝一族の神代氏が関与していたものと見られています☆
なお神代山安国寺は暦応2年足利尊氏によって建立された諸国安国寺の1つと伝わります♪神代館は安国寺境内の北側一帯に築かれていた様で神代館は安国寺と南北に並び濠を共有する形だった様です☆
更に西側には国指定史跡の安国寺甕棺墓群が残ります♪この『安国寺甕棺墓群』は筑後川の南岸で発掘された弥生時代中期(紀元前1世紀頃~1世紀頃)の安国寺遺跡から出土した甕棺墓に象徴されます☆
筑後の重要な渡しに、弥生時代の人々の生活♪歴史が詰まってます♪