山ノ中城

山ノ中城([鷹取城  周辺城郭])

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山ノ中城の口コミ情報

2025年11月15日 龍馬備中守【】


福岡県久留米市の田主丸町石垣にある【山ノ中城】♪別名を石垣城とも呼びます♪耳納連山、鷹取山の北西側の山中、標高442m付近に城郭は存在します。麓には石垣集落があり、別名の由来なのでしょうまた石垣の地名由来ですが、石を多く集めた所の意とも伝わります。地内には平原古墳群や、大塚古墳群など、古代からの歴史も感じさてくれる史跡もあり、地名にそってなのか、古墳群の石室には大量の石が使用されています。近世の寛延記には、大小の塚穴(古墳)が山中に545ヶ所あると記され、特に平原古墳はその残り具合も素晴らしく、古墳好きの方にはオススメです。また石垣は、鎌倉期頃から見える地名で、筑後国竹野郡の内となります。法然上人行状画図には『石垣の金光坊』なる僧侶名があります。この金光は、天永3年(1112年)の銅製経筒が発掘された石垣観音寺の中興の祖で、法然の愛弟子に当たる人物です。現在も石垣の中程にある寺院で、歴史も深いです。

幾つか、山ノ中城での出来事を纏めると、南朝方の武藤資時・菊池次郎武重が兵を率いて筑後に入り、弟である菊池武敏の籠る石垣城で落ち合うと、鎮西管領である一色道猷範氏がこれを攻めています。
竹野郡石垣城合戦と呼ばれるこの戦いは、九州探題・一色道猷範氏と少弐頼尚の南朝討伐軍が、建武5年(1338年)南朝方城である、石垣城を攻撃した合戦です。九州探題である一色道猷範氏と、武家方である少弐頼尚の南朝討伐軍は、石垣城で、援軍に来ていた南朝の菊池次郎武重と恵良小次郎惟澄の連合軍と戦い、激戦となっています。結果、九州探題・一色道猷範氏と少弐頼尚の南朝討伐軍は、石垣城を南朝軍から奪還する事は出来ていません。

詫磨貞政軍忠状に『石垣山合戦』と記載あり。暦応3年の佐志披軍忠状にも『石垣山<号高鳥>合戦』などとある為、この城をめぐる攻防と思われます。貞和5年、荒木家有の軍忠状では先程述べた『石垣寺』が戦場となっていますが、石垣寺本坊は健在であったのか、応永2年(1395年)田原親貞は出陣に際し、足利義満自筆の安堵状などを皮籠に入れて『石垣本防(坊)』へ預けおく様に、一族の者に言い残しています(草野忠右衛門氏家蔵田原文書)。

城郭は、鷹取山から伸びる尾根の標高442m付近が中心となります。ピークは、それほど大きくない削平地ですが、コレが主郭かな?堀切を一条入れます。林道を挟み、北側も城郭で、こちらが副郭ですが、土取りの為か?大分形が変わってしまっています。最前線の北側が三郭となり、筑紫平野を見通せます。

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