筑後・長岩城

筑後・長岩城([鷹取城  周辺城郭])

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筑後・長岩城の口コミ情報

2024年06月21日 龍馬備中守【】


福岡県のうきは市にある【筑後・長岩城】切り立った岩山に囲まれている城郭であります♪山頂に郭等を造っている一般的な山城とは何処か異なります♪
岩山の僅かな隙間に郭を設けている程度であり、その城郭は何処か、豊前・城井谷城にも似ている様に感じました♪それは、戦うのみの場所の様にも見えます♪天然の要害とは正にこういう城郭を指すのでしょう♪
隠し砦の様な出立ちです♪
因みに眼下には、長岩切寄(土塁、堀あり)
出丸的な存在があります♪

さて♪筑後・長岩城です♪築城年代は定かではありません☆が、文治年間頃(1185年〜1190年)に長谷部信連が築城したと伝わります♪その当時は砦程度の高台を利用した程度の城郭でしょう♪

その後の筑後・長岩城は…室町、戦国期へと突入すると、この生葉郡で勢力を持ったのが、問註所氏です♪問註所氏は耳納山中の星野氏と並ぶ豪族であり、雄族として領有しました♪

鎌倉時代に三善康信の6世の孫、三善康行が、文永年間頃(1264年〜1275年)にココ筑後国は生葉郡に下向して土着♪問註所氏を称しました♪問註所氏はこの地で代々続き大友氏などに従っていましたたが、大友氏が没落した後には筑前・筑後に入部した小早川氏に従いました♪文禄2年(1593年)問註所統景は文禄の役で小早川軍として戦って討死…その子問註所政連は柳川城主の立花宗茂に仕え、長岩城は廃城になっています☆

近世の初頭に、浮羽郡の領主は小早川隆景から、田中吉政、そして、有馬氏へと3転し元和6年(1620年)以後は久留米藩・有馬氏が支配しています☆

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