妙見城

妙見城([鷹取城  周辺城郭])

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妙見城の口コミ情報

2023年05月06日 龍馬太閤【備中の麒麟児】


福岡県のうきは市にある【妙見城】♪久留米から続く耳納連山の東端、耳納山から最高峰の鷹取山へ続く尾根の中央部にある、弦掛峠一帯に妙見城は立地します♪標高480m付近が主要部となり中々の山奥に立地しています♪妙見城は国人領主・星野氏の本城で筑後十五城の1城にも数えられます♪

この星野氏は鎌倉時代初期の徳大寺実定卿の子・星野胤実が多田蔵人行綱の子の猫尾城主・黒木大蔵大輔源助能の猶子になって筑後に下り以降、筑後星野家の祖となったと伝わります☆

築城主は、星野常陸介重泰?とも星野伯耆守職泰?とも云われています♪星野氏は南北朝時代には南朝方に属し、肥後国・菊池氏とは同盟関係にありました♪

延元4年(1339年)には北朝方の豊後国・大友氏泰が明見城を攻めています☆その際には菊池武重が援軍に駆けつけています♪
この明見城は、妙見城とは同一かどうかは明らかではありませんが…名前的に恐らく…同一なのでしょう♪行ってみたら分かりますが、その城域は果てしなく広くて、乱世に進むに連れて拡大、拡張を行い、畝状竪堀群、横堀の廻し方、連続堀切等を見るからに、戦国末期まで機能した城と考えられます☆
という事は星野常陸介重泰とも星野伯耆守職泰とも云われている妙見城の築城ですが、コレより以前に既に何かしらの砦の様な城郭があったのかもしれません♪星野氏には不明な点が多くて、今後の歴史研究の進捗に期待したい所であります♪

さて歴史に戻します♪
永正4年(1507年)豊後国・大友義長は筑後国へ兵を進めます♪大内義興が陶尾張守を北九州に派遣☆大友・少弐連合軍🆚大内軍とは豊前・筑前の各所で戦いを繰り返しています☆そんな軍事情勢の中、妙見城主・星野常陸介重泰は大友氏に従わず、大友義長に妙見城を包囲されます…少弐資元も大友氏を加勢して兵を送っていますが妙見城は難攻不落で中々落ちず!

大友氏への去就を巡り星野一族は二派に分かれ筑後と豊前に分裂してしまいます☆その後、大友義長の家臣・竹尾新左衛門が偽って星野常陸介重泰に仕え、その信任を得てついに入浴中の星野常陸介重泰を殺害…。。
この死により妙見城も落城…大友義長は二派ある星野氏のもう一方、星野筑後守親実を妙見城主にしています☆

この2つに分裂した両星野氏は敵味方のまま戦国末期まで続き、それぞれが大友・大内(後に毛利)に分属して互いに攻め合っています☆何にせよ大内氏、毛利氏、大友氏、少弐氏、更には龍造寺氏、島津氏の狭間で戦い続けて星野家は戦場を往来したのでしょう☆

星野氏で有名な武将としては星野親忠です♪星野親忠は大友氏に属していましたが、天文元年(1532年)大友氏に背き独立籠城しています☆享禄年の末(1531年頃)星野親忠は自立を図り、これに怒った大友義鑑は生葉城を攻めたが落とせませんでした☆そこで大友義鑑は幕府の命を請い大内氏・島津氏・菊池氏・少弐氏らの出陣を得て、星野氏を降したと伝わります☆
一方『筑後国史』の方では天文元年に星野親忠が反旗を翻し生葉郡に立て籠ったとしています☆幕府は鎮西探題の大内義隆に星野追討の御教書を下し大内義隆は直ちに出陣☆
これに島津氏・大友氏・宇喜多氏・毛利氏・吉見氏・小早川氏・秋月氏ら、九州は元より備後までの人数が加わり、その勢10万余であったとも伝えています☆
この大軍を前に星野親忠は縦横に戦いますが多勢に無勢…ついに城を脱出して行方不明となったと伝えています…
星野親忠のその後の事は不明であり、永禄10年(1567年頃)星野城に籠った星野鎮忠は星野親忠の子といわれ、星野鎮忠の子が天正14年(1586年)筑前の高鳥居城で玉砕した星野兄弟だと云われています☆
何にせよ不明な点が多い星野氏ですが、この辺りに支城群(福丸城、鷹取城)を形成し、有事に備えながら生きた☆
かなりの激戦であった事は、その城郭の素晴らしさで読み取る事が出来ます☆

個人的には九州の城郭の中でもトップクラスにオススメの城となりました♪

2021年02月22日 榎晴信肥後守


妙見城は鷹取城の北東およそ2㎞にあります。
耳納山系から北に派生した尾根上にあり標高488㍍の上の城を頂点とし標高差200㍍、南北約600㍍、東西250㍍の規模を有する筑後国最大の山城です。
上の城、中の城、下の城、館跡などで構成され堀切や80本近くの畝状竪堀群が構築されるなど星野氏の本城にふさわしい山城です。
道は館跡まではありますが上の城、中の城、下の城、馬刺場へは明確な道は無く縄張り図と地図を頼りの登山となります。

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