裂田の溝
裂田の溝([岩門城 遺構・復元物])
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裂田の溝の口コミ情報
2024年05月02日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
福岡県の那珂川市の山田にある【裂田の溝】♪今日は城郭では無くて、日本最古の農業用水路です♪
岩門城と安徳台遺跡の間を走る古代の用水路は延長5.5キロと長く伸びます♪
古来より東アジアとの交流拠点であった博多、太宰府を中心とした、筑前は古代日本の西の都といっても過言ではありません♪
養老4年(720年)に成立した『日本書紀』の神功皇后紀に記されている人工用水路で、岩門城と安徳台を見事に貫いた一大土木事業です♪神功皇后は363年に那珂川から水を引いて切り開き人工的な用水路『裂田の溝』を造ったと伝わります♪
この辺りの地盤は花崗岩からなり堅い岩盤で出来ていて掘削作業は難航したと云われています♪
『新羅征討』に記された伝承では『神功皇后が西の方を自ら討とうとして、神祇を祭祀しようとした。そして神への御供えのための田(神田)をつくろうとし、その神田に水を引く為に那珂川から溝を掘らせたが、迹驚岡(現在の安徳台です。)まで溝を掘ったところ、大磐がふさがって溝を通すことができなかった。皇后は武内宿禰を召して、剣と鏡を捧げて神に祈らせたところ、雷が激しくなり、その大磐を蹴り裂き、溝を通させた。そのため人々はその溝を裂田溝と呼んだ』とあります♪ファンタジーの世界ですねw
現在は横に道路が出来、住宅地が出来たりと往時と変わっている部分はあるものの、その流れは止まる事無く、よく残っています♪