少弐景資墓所(伝)

少弐景資墓所(伝)([岩門城  碑・説明板])

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少弐景資墓所(伝)の口コミ情報

2024年05月03日 龍馬備中守【】


福岡県那珂川市の山田にある【少弐景資墓所 】♪岩門城の西側の麓に少弐景資墓所は残ります♪南側の墓所の背後は九千部山系の山々が標高を上げながら連なります♪

岩門城の歴史は入れ替わり立ち替わり多くの武将が城主を務めた城郭でもあります♪時代の流れと共に…原田(大蔵)氏、少弐景資氏、渋川氏、大友氏、大内氏、志賀道輝(大友氏家臣)氏、筑紫氏などが城主となっています♪このエリアは筑前博多と大宰府の中間にある為、戦略上の要衝にあたる重要な場所なのであります♪

元々は大蔵氏の流れを汲み込む原田氏の領有する地ではありましたが、元暦2年(1185年)平氏が壇ノ浦の戦いで滅亡した事により、原田氏は平家没官領として領地(3700町歩)を没収されています☆
鎌倉幕府は武藤資頼を太宰少弐に任じ、筑前、筑後一円に広がる大蔵氏流原田種直の3700町を全て与えました♪コレにより、そして武藤氏がこのエリアも支配したと考えられています♪以降、代々の武藤氏は太宰少弐職を世襲して、少弐氏と名乗る事となります♪少弐氏は北部九州の名族として発展していきました♪

この少弐景資は岩門城主として元寇襲来の際には鎮西の御家人の総司令官として、元軍との戦闘を行いました☆

名実ともに勢力を奮った景資ですが、弘安8年(1285年)鎌倉幕府の政変・霜月騒動に巻き込まれてしまいます。。
霜月騒動とは元寇後の論功問題等への対応の為、北条氏と有力御家人との間に起こった鎌倉幕府、最後の抗争です☆
この幕府内で起こった抗争ですが、関東、九州を中心に拡大していき幕府を二分化していった内乱です☆コレに巻き込まれて、少弐景資は岩門城で兄の少弐経資と戦い、破れて自刃しています☆これが岩門合戦です☆
岩門城の西側には、岩門合戦で実兄に敗れた、少弐景資墓所の五輪塔がヒッソリと残ります☆
今の時代では考え難い親族同士での武力での抗争☆生き残りを賭けた激しい戦闘は実兄である少弐経資に軍配が上がっています…☆

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