鷲ヶ岳城

鷲ヶ岳城([岩門城  周辺城郭])

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鷲ヶ岳城の口コミ情報

2026年10月03日 龍馬備中守【】


福岡県那珂川市の南面里にある【鷲ヶ岳城】♪豊後・大友氏の、筑前南部・西部を押さえるための前線拠点として機能しました♪
鷲ヶ岳城は、南面里の南西の標高約454mの鷲ヶ岳山頂に築かれた、戦国山城であります♪中世のなれど、粗々しく積まれた石組みが見れるのが、めっちゃ良かったです♪

城郭の置かれた那珂川市は南北に長く、南が山地、北が福岡平野側という『南高北低型』の地形となっています♪中央を那珂川が南北に流れ、南部で脊振山系へ入り込みます♪那珂川の山地の大部分は花崗岩類からなり、河川によって谷が刻まれた地形となっています♪
この那珂川の左岸に位置した、所謂『谷を見下ろす山そのものが城』といった印象でしょうか♪

鷲ヶ岳城の役割として、南から来る敵を見張る事♪鷲ヶ岳の南には脊振山系が続き、筑紫氏の一ノ岳城と接近♪更に坂本峠方面は、肥前国との境界となったのでしょう♪

実際、天正7年(1579年)には肥前、龍造寺軍が神埼方面より坂本峠を越えて筑前へ進出し、鷲ヶ岳城を攻撃したとする伝承が残ります。
つまり鷲ヶ岳城は、肥前 → 坂本峠 → 那珂川方面という南からの侵入ルートに対し、監視・防衛拠点としての意味を持ちます。
更に那珂川の谷を押さえるという意味も持つ、鷲ヶ岳城です。猫嶺城や老林城、新城山城などよりも更に標高が高く、大友方の筑前支配(那珂川)の本城的な意味を持つ城郭なのでしょう。イメージは『博多から南へ延びる那珂川ルートの側面を押さえる山城』と考えると分かり易いです。
そして、これが1番大切な役割、周辺の筑前の大友方山城と連携する事でしょう。鷲ヶ岳城は、一般に『大友筑前五城』の一つとされます。五城として挙げられるのは、立花山城、宝満山城、岩屋城、荒平城と、この鷲ヶ岳城です。大友氏の筑前支配を支える、重要拠点群なのであります。つまり鷲ヶ岳城、単独で考えるより、筑前の山城ネットワークとして見る方が、鷲ヶ岳城の本質なのでしょうね。

城主は大鶴宗雲と伝わります。大鶴宗雲は、大友氏に属した武将であります。
『日本歴史地名大系』によると、永禄11年(1568年)著と推定される文書に『立花安楽平鷲岳之事』とあり、鷲ヶ岳は立花氏側の城として確認できます。さらに『筑前国続風土記』では、大友宗麟麾下の大鶴宗雲の居城と記載されます。鷲ヶ岳城という大友方の筑前支配の一角だったのです。

時は天正7年(1579年)肥前国の龍造寺隆信が攻めてきます。当時の九州の情勢は、大友氏が耳川の戦いで島津氏に大敗。大友氏の筑前支配が大きく揺らぎ、これにつけ込み…肥前の龍造寺隆信が筑前へ進出、という流れです。
龍造寺氏が天正7年に背振山を越えて筑前へ進出し、安楽平城・鷲ヶ岳城を攻撃した記録が残ります。

天正7年(1579年)の攻撃は一度撃退。伝承では天正7年、龍造寺方の大田兵衛らと筑紫広門が鷲ヶ岳城を攻撃。これに対して、大友方は高橋紹運(宝満山方面)と立花道雪(立花山城)が救援し、龍造寺・筑紫勢を撃退したとされます。鷲ヶ岳城単独の戦いではなく、鷲ヶ岳城を中心に、周辺の大友方城郭が連動している証拠で、正に山城ネットワークの実戦例であります。

しかし最終的には、大友方の筑前支配が崩れていくのですが…2つほどの説があります。『日本歴史地名大系』の説明では、天正7年の攻撃を受けても城を堅守したとされる一方、その他の城郭資料では、天正9年(1581年)に筑紫広門によって攻め落とされたとする伝承があります。一方、その他の展示解説は、龍造寺氏による鷲ヶ岳城の攻略を天正8年(1580年)4月としています。まぁいずれも、実戦で機能した城郭という訳です。

最後の写真の上が城郭で、この辺りから取り付きました♪が、藪が中々酷かったです♪十分装備をしていきましょう♪

2022年04月04日 大内周防守毛利


鷲ヶ岳城(わしがたけじょう)は大友筑前五城(立花山城、宝満山城、荒平城、柑子岳城)の一つ。永禄3(1560)年に大友方による筑紫秋月方攻略時に築城されたとされ、天正9(1581)年に筑紫広門によって落城したとされます。大鶴宗雲(宗周)が居城したとされる。

城郭はI〜Ⅲ区から構成されていますが、今回は時間の都合上Ⅰ、Ⅱ区の主要部分しか巡ることが出来ませんでしたが、とても素晴らしい城郭でした。

Ⅱ区は土塁によって登城路を制限したり、また曲輪の下に登城路を通すなどして敵兵が進まないようにしています。Ⅱ区の中心部には尾根の頂部に切岸を備えた見張り台を兼ねた曲輪があります。そのほか南側には連続した堀切があるそうです(雑木で進めず、写真撮れず)。

Ⅰ区には西側に大堀切を構えています。またⅡ区では土の構造物がメインでしたが、I区では石垣を見ることができます。中でも主郭の石垣は綺麗に整えられています。なお主郭は雑木まみれです。一部展望が開ており、荒平山や立花山、宗像四山、宮地嶽を見ることができます。

またI区とII区の間には土塁のついた土橋が設けられ、さらにその西側の竪堀からスロープを通って土橋に入ることができ、立花山城のイバノヲ・大タヲ地区を関連させられます。
詳細は「福岡県の中近世城館跡II」に載ってますので参考にしてください。

【注意】南面利(なめり)集落を過ぎて林道に入るとネットが繋がらなくなります。GPSは大丈夫でした。事前に地図やヤマップなどを使って道を頭に入れておきましょう。

足場がたくさんの落ち葉や真砂土なので大変滑りやすいので登山の服装で挑みましょう。

夏場はダニや蜂の巣窟になりそうなので注意しましょう。

写真
 ①土塁により曲げられる土橋
 ②II区の虎口
 ③I区とII区の間の土橋と土塁
 ④II区の下の登城路と切岸(かなり滑ります)
 ⑤I区の石垣
 ⑥I区とII区の間のスロープと土塁、土橋
 ⑦主郭の石垣
 ⑧主郭からの風景

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