浦ノ城

浦ノ城([有智山城  周辺城郭])

有智山城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「浦ノ城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

浦ノ城の口コミ情報

2025年12月15日 龍馬備中守【】


福岡県太宰府市の連歌屋にある【浦ノ城】♪太宰府天満宮の西約300メートルほど、御笠川にかかる浦城橋の北側一体の高台の端に、城郭は存在します。現在、城跡は浦ノ公園となり、周りは住宅地化されている為、遺構は残りません。今の姿から分かることは、高台であること、御笠川が濠の役割を果たしていたことでしょう。当時の状況を知る由がない為、地形や地名などで判断する事が多いですが、遺構が無くても、そこに歴史があったのなら、もうそれだけで、充分なのです。

さて、この浦ノ城ですが、城主は少弐氏と伝わります。元は藤原南家・藤原千常流の武藤氏として、武蔵国の住人だったのですが、鎌倉時代に九州に土着し、大宰少弐(=九州の軍事長官)となっています。武藤小次郎資頼は、大宰少弐となってからは、補任のある無しに関わらず、以降は少弐氏を名乗っていきます。
弘安5(1282年)鎮西奉行所が博多に設けられた際、鎌倉幕府はその補償並びに恩賞として、少弐経資の為に大宰府に城を造らせています。この大宰府の城が浦ノ城であります。少弐氏の居城は、近隣では有智山城などがあって、この浦ノ城は、少弐氏の為に幕府が築いた府の公城公館(少弐氏に残された大宰府の公的役所としての城)という特徴があったと考えられています。なので、太宰府政庁からも近いのです。

現在は、浦之城と岩渕と地名を残すだけであります。どこまでが城の範囲なのか?今は分かりませんが、昭和45年頃まで、浦ノ城は南下する谷を囲んで『コ』の字型に高まりがあった様で、それ程高い丘ではないですが、傾斜は急峻であった様です。コレは、現在もコンクリートで固められてはいますが、鋭い崖となっています。東側の尾根を『ジョウセン山』西側の尾根を『ナラコ山』と呼び、中央は水田だった様であります。浦ノ城は、まるで横矢の様なコの字形の急峻な傾斜を持つ丘陵と、南面を流れる御笠川を外濠としてうまく利用した、丘城だったのでしょうね。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore