高尾山城
高尾山城([有智山城 周辺城郭])
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高尾山城の口コミ情報
2025年12月13日 龍馬備中守【】
福岡県筑紫野市の石穴にある【高尾山城】♪石穴神社の背後、標高158mの高雄山に城郭は存在します。築城年代等は定かではありません。北西側に岩屋城、北東側に宝満山城と、明らかに標高の高い城郭を背後に背負います。
この筑紫野エリアは二日市の地峡を境に、西南側の城が筑紫氏の領域、北東側の城が高橋氏に属している、所謂境目にあたるという事は、博多見城で記載しました。正に二日市から北東側に位置する為、高橋氏の城郭でありましょう。
高尾山城の立地から、岩屋城と宝満山城の前線といった城郭に見えます。
ハッキリした歴史は無いのですが、高尾山城は、当初は高橋紹運の家臣の城だったと『古戦古城図』では伝えています。また『城数之覚』では筑紫氏の高尾ノ城として、さらに『拾遺』によると、岩屋城合戦の際は秋月方(島津軍)の陣所と記載されています。その拾遺には『天正十四年薩摩勢岩屋城を攻し時、秋月氏の陳址と云。山上巽(南東)より乾(北西)に四十三間。坤(南西)より艮(北東)に南にて四間半北にて六間有。東南の方に武者走あり。又筋違にから堀あり。』とあります。という訳で、城主は高橋紹運家臣→筑紫氏→秋月氏と思われます。
城の北北東側の約半分は、ゴルフ場を造る際に消滅していて、現在残る部分は一部となっています。









