竹井館
竹井館([鷹尾城 周辺城郭])
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竹井館の口コミ情報
2025年03月20日 龍馬備中守【】
福岡県みやま市の山川町尾野にある【竹井館】♪西は高田町竹飯と南は高田町飯江とに隣接した、標高19m程度の低台地上に居館跡は存在しました♪今の行政区画では、そうなっていますが、昔は、竹飯『たけい』と呼ばれた場所であります♪地名由来としては、旧竹井村と飯尾村を折衷したものとされ、地元では、『たけのい』と呼ばれています♪
『筑後将士軍談』には、この付近には竹井館の他に5か所の城館の記載があります♪竹井館は『牡丹長者屋敷跡(長者原)』ともあり、伝承の域を出ず、実体がはっきりしません。
竹井館は牡丹長者屋敷なのか?一応、別名・竹井牡丹長者館とも呼ばれています。
そして、この居館の詳細も不明であります。
が、南北朝時代には、この地は南朝方の軍事ルートであり、康永2年(1343年)に南朝の中院侍従義定・菊池武敏・大城藤次らが肥後境で近隣にある竹井城(同台地の西端)に拠っている事からも、当地が肥後南朝方の主要軍事ルートに当たっていた事が分かります。
戦国時代には国人領主である田尻氏の勢力圏であったと見られ、天文19年(1550年)の田尻親種竹井原合戦手負注文(田尻家文書)には、当町、真弓・三峰辺りの地侍層と思われる真弓助八郎・三峰小四郎らの名があり、おそらく田尻氏の被官と思われます。田尻氏の支配下域の居館だったのでしょう♪なので、リア攻めマップも鷹尾城にくっ付けています♪
天正3年(1575年)の『島津家久上京日記』によれば、島津家久一行が当町を通過していて、北の関の小市別当に泊まっています♪また天正15年(1587年)豊臣秀吉もココを通過しており(九州御動座記)、今も旧街道を太閤道と呼んでいます♪
さて、竹井館ですが、歴史詳細は分からず。
近隣では、色々あるんですけどね〜。
ただ、小高い丘陵地には土塁状の遺構と思しきものがあり、長者原遺跡の範囲確認調査にともない、7・8世紀頃の須恵器の杯蓋が数点出土している様です♪西海道のルート上にある、狩道駅(みやま市付近とされる)の推定地にまつわる遺物でしょうか?その居館が、中世まで豪族の館として存在していたのかもしれませんね♪
字今屋敷の旧郷社・八幡神社は、当時にあった、竹井荘21ヶ村の祈願所でありました♪
字中村の天台宗竹林山満願寺は、牡丹長者建立の一寺となります♪周りは色々あるんだけどなぁ〜。竹井館はやっぱり分かりませんでした。