江の浦城
江の浦城([鷹尾城 周辺城郭])
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江の浦城の口コミ情報
2022年07月11日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
福岡県のみやま市にある【江の浦城】♪矢部川支流の飯江川下流の左岸、筑後平野に築かれた平城になります♪
戦国時代に豊後国の大友氏・家臣の永江勘解平方が築き、代々、永江氏の居城になりました☆天文19年(1550年)の戦国時代☆田尻鑑種が此処に拠り、永江勘解由、田尻了哲が在城して肥前国の龍造寺氏に対抗しています☆が…。。龍造寺氏に対抗していた筈の田尻氏ですが、天正9年(1581年)に筑後の国人領主である蒲池家の蒲池鎮漣は龍造寺隆信に猿楽の催しに誘われていて佐嘉に赴いた所を謀殺されています…☆コレを契機に柳河へ侵攻して行く龍造寺氏です☆この田尻氏は蒲池氏とは同族でありましたが龍造寺氏に従い蒲池氏一族を滅亡に追いやりました…☆
蒲池一族を追いやった田尻氏ですが、天正10年(1582年)には龍造寺氏に反旗を翻します☆本城の鷹尾城を中心に浜田城・津留城・堀切城(3城口コミ済)そしてこの江の浦城の各支城を固めました♪龍造寺氏は直ちに軍を発し攻め寄せたが落とせず、一部の兵をもって支城を攻略させたが失敗し一年余りの籠城の末、有馬氏が島津氏と組み肥前侵攻する気配があった為、和議を結び引き上げています☆
天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐によって三池郡は高橋直次の所領となっていてこの江の浦城には高橋直次が入城☆永江氏は高橋直次に従っていきました♪
慶長6年(1601年)柳川城に田中吉政が入城すると、この江の浦城は家臣・田中主水正が城主になりましたが、 元和の一国一城令により廃城となってしまいました☆
現在の淀姫神社一帯が城郭の中心部になります☆廃城に際し石垣は崩され堀も埋められてしまった様で(水路は濠の名残と思われます)遺構は、ほぼ消滅☆二の丸、垣原、古町などの地名が残っているのみでした♪