田尻城

田尻城([鷹尾城  周辺城郭])

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田尻城の口コミ情報

2022年05月19日 龍馬備中守【】


福岡県のみやま市にある【田尻城】♪別名を田尻飛塚城と呼ばれます☆

明応8年(1499年)に田尻氏は大友政親から山門郡と三池郡に300町を賜っています☆
この時期は、ここ田尻城を中心に活動をしていたと思われます☆
この田尻氏は大蔵春実の末裔とされています☆大蔵春実は播磨国、大蔵谷の出身で藤原純友の乱による功によって三池・山門の地を与えられています☆築城年代は不明ではありますが天慶年間(938年〜947年)に築かれたとされています☆

戦国時代には田尻親種が鷹尾城(post済)を築いて移っていて一族の田尻左京が城代になっています☆

田尻氏は大友氏から龍造寺氏に主君を変えていく中で、後に鷹尾城主・田尻鑑種は龍造寺隆信の命で田尻鑑種の縁者である柳川城の蒲池氏を攻め蒲池鎮漣の一族郎党を誅滅する事になります…☆
悲しい歴史です☆
沖田畷の戦いで龍造寺氏が力を落とした際は薩摩国・島津氏に接近を図りつつ、龍造寺氏に属しました☆

豊臣秀吉の九州征伐が終わる頃までには龍造寺氏への完全服従を決めていて立花宗茂、高橋統増、筑紫広門らは秀吉へ拝謁して直臣となる中、田尻鑑種は秀吉へ拝謁せず☆
鍋島直茂、麾下の武将になります☆
その後の田尻鑑種は鍋島直茂に忠誠を誓い朝鮮役へ帯同中に朝鮮の地で病没しちゃいました☆

天正15年(1587年)の九州国分で田尻城は立花宗茂に領されていて立花織部が城代になっています☆江戸時代に入り田中吉政が筑後に転封されると廃城になっています☆

森山宮一帯が城郭とされていますが、目ぼしい遺構は削平地がメイン☆森山宮背後の山中に入り込みましたが、バンブー地獄の中にやっぱり削平地☆尾根先端部などはミカン畑になっています☆堀の名残り?の様な窪みはありました☆

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