花尾城

花尾城([松尾城  周辺城郭])

松尾城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「花尾城」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

花尾城の口コミ情報

2025年11月26日 龍馬備中守【】


福岡県嘉麻市の桑野にある【花尾城】♪遠賀川に面して突き出した、標高100m程の通称・城山に城郭は築かれています。この場所は、南東側に下ると東峰村へ、北西側に進むと、馬見を越え筑豊地方の最大の盆地へと繋がります。馬見山を水源とする遠賀川(嘉麻川)と、三郡山を源流とする穂波川が広がり、2つの河川は飯塚市で合流し北へ流れて、直方平野に至ります。豊かな河川や山間、盆地、街道などなどを持ち合わせる場所だからこそ、古来より歴史も多いエリアとなっています。花尾城は、東峰村と嘉麻市、更には飯塚市へと繋がる間道にあった城郭であります。

さて、花尾城の直下には、嘉麻峠があります。つまり、この嘉麻峠を押さえ、監視する物見の城だったのでしょう。築城詳細は不明ではありますが、この花尾城は、馬見山城主である毛利兵部少輔鎮実の家臣・毛利三七兵衛の城と伝えられます。

永禄年間(1558年〜1570年)頃の嘉麻市は大友宗麟の領有となっていて、大友氏の旗下に、毛利兵部少輔鎮実が馬見山城に在城しています。恐らく、花尾城もこの時期に存在し、機能していたと思われますが、詳細は不明であります。毛利兵部少輔鎮実は鷹取山城主でもあり、大友氏に忠誠でありましたが、天正7年(1579年)、大友氏と敵対関係にありながら隣接している古処山城主・秋月種実に人質の提出を強要され、12歳になる姫を人質として秋月に送ったと云われます。

城郭は、主郭、副郭からなります。城の山上から北、東、南側の3面は急傾斜面となり、山裾を遠賀川の渓流が天然の外堀となって流れます。西は旧大手口と云われ、尾根を堀切で断ち切り、数段の郭も残っています。大分浅くなり解りにくくなっていますが、北斜面には数条の畝状竪堀群があります。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore