千手城
千手城([古処山城 周辺城郭])
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千手城の口コミ情報
2022年09月10日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
福岡県の嘉麻市にある【千手城】♪現在は千手八幡宮が祀られています☆
古処山の北麓に立地し、遠賀川の支流、千手川に合流する小流の谷間や台地に田畑が開け集落が点在しています☆
千手は『せんず』と読みます☆
地名の由来は、文明年間創建の曹洞宗千手寺からきているとも云われています☆
ただ、南北朝時代には既に千手という名前が出てきている為に、寧ろ、地名から寺の名前がきていると思われます♪
繰り返しになりますが、千手は南北朝時代から見える地名になります☆
南朝方である筑後の人木屋行実や草野永幸らが、ココ千手にて北朝方と戦い勝利しています♪千手城は在地豪族である千手氏の城郭と伝わります☆千手氏は、南北朝時代、南朝方に属し活躍していて、千手城は南朝方の有力拠点だった様です☆
が一時、北朝方に陥れられ、一色範光が立て籠って居たのを、南朝方が再び取り返しています☆
戦国時代になると、この地は少弐氏の知行地になっています☆
ですが、往時の領主・少弐教頼は、将軍足利義教に対して反乱を起こした播磨国の赤松満祐の追い討ちに失敗します☆
これにより少弐教頼は、幕府の命を受けた大内氏に攻撃を受ける立場になっていきます…。千手城でもその攻防戦が行われています☆
時を進めて戦国時代♪
秋月文種が毛利氏に通じて大内氏に反した為に、大内家臣・豊前・佐田氏や豊後・萩原氏と馬見において秋月軍と戦っています☆
築城年代は不明となりますが、城主は秋月氏の家臣・千手八太郎という人物の名前が出てきています☆
主郭の西側には綺麗に横堀が廻ります☆
高い土塁に横堀☆千手城の1番の見所でしょう☆主郭の北側の切岸は非常に鋭く激戦を物語ります♪
2021年02月11日 ヒデタカ筑前守
千手八幡宮が千手城跡です。土塁・段状の曲輪・横堀・切岸地形の遺構が残っています