日野山城

日野山城([益富城  周辺城郭])

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日野山城の口コミ情報

2025年11月30日 龍馬備中守【】


福岡県嘉麻市の上臼井にある【日野山城】♪
別名を金毘羅城とも、琴平城とも呼ばれます。別名の由来となる、独立峰の金毘羅山(標高123m)に築かれた城郭となります。
この、上臼井は上碓井とも書いていました。遠賀川(嘉麻川)の左岸に位置し、金毘羅山の南麓には丘陵が連なります。地名の由来は『和名抄』嘉麻郡六郷の1つ碓井郷に当たり、碓・臼とも穀物調整具で稲の豊かな実りを願って名づけられたとされています(碓井町誌)。近隣には石竹の弥生時代遺跡や日吉古墳・御塚古墳があり、御塚古墳は長慶天皇陵との伝承もあります。古代から大宰府観世寺の碓井封であり、後の荘園の本家は東大寺の自領となっています。金毘羅山の南西側にある長谷山は、上臼井からの呼び名を大平山といい、山頂の長谷山城には嘉麻・穂波・御坂3郡の領主として高橋盛綱が居城しました。高橋盛綱は、文安5年に大平山永泉寺を開いたと伝わります(続風土記付録)。

さて、この日野山城ですが、いつからあった城郭なのか?築城年代など不明であります。天正15年(1587年)小早川隆景が筑前国へ入国すると、家臣である日野左近が在城したと伝わります。『隆景ノ臣、日野左近ト云者居レリト云』と記録があり、日野山城は織豊期の小早川隆景の支城とされます。慶長2年(1597年)小早川隆景が亡くなると、養子となっていた小早川秀秋が筑前国を継承していますが、慶長5年(1600年)『関ヶ原の戦い』で東軍方へ寝返った小早川秀秋が美作国へ移封されると、この日野山城も廃城になったと云われています。

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