山下城
山下城([笠木城 周辺城郭])
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山下城の口コミ情報
2025年07月20日 大内周防守毛利
山下城(やまじたじょう)と呼びます。宮若市山口の郡道と宮若方面の道が交差する尾園城の南側、同一の尾根上に位置する城のひとつです。『福岡県地理全誌』によれば宗像の臣、金子又三郎ガ在城したとされる(金子又三郎の名は天正十三年分限帳に載っている)。
城の縄張りとしては小さな単郭の主郭がひとつ。南側に続く尾根を堀切で断ち切る。その堀切の底部を主郭周りの帯曲輪が連結した形を呈しており、尾園城や宮若地域の城で見られる「帯曲輪連結型堀切」としている(名称は新修 宗像市史より)。城の北に位置する尾園城を守ることに特化しているためか南側とは対照的に北側の帯曲輪と尾根の境界がはっきりしておらず、帯曲輪からなだらかな斜面の尾根がそのまま北に伸びる形となる。南からの侵攻を防ぐための城であることを裏付けるように北側に虎口らしき少し緩やかな傾斜面や通路が少し見受けられる(ただしこの城の主郭はほぼ全周にわたり険しい切岸で防御しており、北側の斜面は「他の面と比べると比較的」緩やかなだけで、決して緩やかな訳では無い)。南の堀切に落ちた敵が弱点である北側に回り込まないように北と東側に土塁の突出や段差が構築されている。
極めて単純な構造であるが、北にある尾園城さらにその先にある宗像領を守るために敵の進行を妨げる形で南側の防御に全て割り切っていることが縄張りからくみ取れる。他の城の築城に労力をさかれたためか必要最低限の労力で南から来る敵から宗像を守る必死な思いが鋭い切岸、巨大な堀切を生み出し、決死の思いで戦っていただろうと感じられました。
写真
①堀切
②主郭の切岸と帯曲輪
③東側に突出した土塁
④主郭北側(帯曲輪と段差)
⑤帯曲輪と切岸
⑥主郭北側東側の段差
⑦帯曲輪
⑧主郭