平山城Ⅰ

平山城Ⅰ([笠木城  周辺城郭])

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平山城Ⅰの口コミ情報

2025年07月24日 大内周防守毛利


平山城は宮若市黒丸地区にある城で、3つの丘城、山城から構成されていたとされる。『筑前國續風土記拾遺』、『福岡県地理全誌』に記されているが、平山城の正確な場所は不明なため「福岡県の中近世城館跡Ⅱ」(福岡県教育委員会編)に従って紹介する。平山城は安永氏の端城とされ、安永の名前は『天正十三年宗像氏貞分限帳』にて若宮衆の中に安永姓を確認できる。

以前取り上げた尾園城(尾園本城)では近くに八幡宮(山口八幡宮)が存在し、この平山城においても平山城Iのすぐ東に八幡宮(六社八幡宮)がある。天正九年(1581)の山東宗像表の戦い(鞍手郡吉川庄の戦い、小金原の戦い)にて宗像氏が大友勢(立花軍)に敗北した後に若宮庄の若宮八幡宮で社敵退散を祈っていることから、このふたつの八幡宮と城はこの戦いに関係したのかもしれません。

平山城の標高はおおよそ平山城Iが193m、Ⅱが237m、Ⅲが313mに位置する。城のある宮若市は内陸の盆地なので麓の平地の標高が100前後になる。

アクセスとしては近くの平山寺に車を停め、柵を開け(ちゃんと閉めること。近くにアナグマを始めとする害獣が多くいます)六社八幡宮に向かい、そのすぐ裏手が平山城Iとなります。ⅡとⅢはピンクリボンに従って山を登ることになります(直登に近いところも多々あり)。

平山城Ⅰは方形の曲輪が2つ東西に並び、この曲輪間を堀切で遮断している。この堀切は宮若市の城に多く見られるように曲輪を囲む帯曲輪と堀切底部が連結する形(堀切底部の方が1mぐらい高く、小さな竪堀を介して連結する)になる。

また西側の曲輪と西に続く尾根を分断するために堀切がある。この堀切はⅠの中で最も大きく、底部は完全に帯曲輪と一緒になっている。

帯曲輪は周囲に土塁が設けられているところがあり、またそれぞれの曲輪の切岸下に横堀がある。報告書の縄張り図には無いが、現地に行くと西側の曲輪下に突出した張り出しがある。これは帯曲輪、堀切に侵入し、曲輪に攻め込もうとする敵を側面から攻撃できるような足場と考えられる。

西の曲輪には土塁が2つあり、1つは西の尾根に取り付いた敵を射撃するためのものとされる土塁。もうひとつの土塁は西曲輪のやや東寄りにあり、曲輪間の堀切から登ってきた敵を土塁越し、または土塁上から攻撃するものと考えられる。曲輪の広さは東の方が大きいが、防御施設からみると西側の曲輪の方が強固なものとなっている(東側の曲輪には土塁なし)。

平山城Ⅰは規模こそ小さいものの防御施設は整っており、城の位置や比高から戦争になったらいち早く体制を整え、人々を後方の城や山々に避難させている間に敵を殲滅ないし被害を与え、時間を稼ぐ重要な働きが考えられる。この地域の人々にとって大事な生存戦略の手段を考えさせられる重要な城のひとつと感じさせられました。

写真
①東曲輪下の横堀と土塁
②西曲輪の横堀
③曲輪間の堀切につながる竪堀
④曲輪間の堀切
⑤西曲輪の東寄りの土塁越しから見る堀切と東曲輪
⑥西曲輪の西端の土塁と堀切を挟んだ尾根
⑦帯曲輪に突出した足場
⑧平山城Iの西端の尾根を断ち切る堀切

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