亀山城
亀山城([片脇城 周辺城郭])
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亀山城の口コミ情報
2022年05月26日 大内周防守毛利
亀山城は西郷地区にあったとされる城郭です。亀山城は灰塚切寄と推定される城郭であり、西郷地区を支配する上で重要な役割を持っていたものと考えられます。
西郷地区は戦国時代の初め大内氏の直轄領であり、篠栗町にある畝状竪堀が多くあることで有名な高鳥居城の城衆の所領も西郷にありました。西郷には、河津、井原、深川氏などの家臣が存在し、大内氏滅亡後は宗像氏の家臣となっていき、西郷地区は宗像氏の領地に取り組まれていく。1569(永禄12)年、毛利氏が九州から撤退すると宗像氏は大友氏と和睦する。その和睦条件の一つに西郷地区の割譲と西郷を居所とする河津隆家の殺害を提示し、宗像氏貞はこの条件に応じ、西郷地区にいた大内氏旧臣を宗像氏に取り込んでいった。後にこの大内氏旧臣はその恨みから1581(天正9)年の鞍手郡での戦いを起こすことになる。
この西郷地区を治めた河津氏の居城がこの亀山城とされ、その周辺の遺跡からは戦国時代の遺跡(武家居館など)が見つかっている。亀山城は亀山神社や亀山古墳のある丘から東の打越山、法華寺山にあったとされていますが、今は遺構はなく、水路や道路がかつての堀跡を示すのみである。この亀山城は天正9年に灰塚切寄として大友氏の境目の拠点の城として整備され、足立対馬守と内田鎮家が番代にあたり、院内衆が在番することとなった。
写真
①亀山神社のある丘
②亀山神社(亀山古墳)
③堀跡とされる道路と水路
④堀跡とされる水路
⑤打越山と堀跡とされる道路
⑥法華寺山
⑦打越山北側にある堀跡
⑧立花領と宗像領を分けた西郷川と法華寺山